「怒りのコントロールが人生を分ける」
人間は、湧き起こるイラ立ちを抑えることが非常に重要です。
それが出来る修行者は、アノ世とかコノ世とかを何度も流転する
輪廻(りんね:生まれ変わり)を止めることが可能に成ります。
(原始仏典 スッタニパータ 第1章1節-No.1)
※今日からは、「ダンマパダ」と同様、最古の原始仏典とされます
「スッタニパーダ」を柔軟してご紹介します。「如是我聞」、
「私は釈尊からこのように聞きました」とは、釈尊の十大弟子の一人
阿難の言葉をさします。つまりすべての仏典は「阿難の言葉だった」
と言えます。
まず、スッタニパーダ第一章第一節-一番は「怒りを制する者は悟りに至る」、
「転生輪廻を終わらせる」について書かれています。
「簡単に怒る」「むやみにイライラする」ことから離れること。この継続が、
自分自身を真から変えて行きます。真宗では、「腹が立つときゃブツブツ
申せブツはブツでも南無阿弥陀仏」と言います。仏さま、お念仏が私のイラ
イラや怒りをしっかり引き受けてくれます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
怒りを制する者は、悟りに至る。
これは非常に希望が持てることです。何も難しい修行や、長い瞑想や、
無理に善徳を積むことを意識しないでも悟れるのです。
自分の怒りを制することが、全身全霊に非常に影響するということです。
今日からは、「簡単に怒る」「むやみにイライラする」ということを止めることから意識して見ましょう。
この継続が、自分自身を真から変えて行くのです。
怒りを昇華させるには、
* 規則正しい生活。バランス良い食事。無理なく歩く散歩。無理なく出来るストレッチ。
日常生活こそが、自分の怒りを起こさない重要な因子と成ります。
* 生活努力と、先祖への感謝を普段の中ですることが大切です。
実践の継続が自分に教え、先行きを導きます。
怒りをよく持つ者が、
再び転生(来生も苦しい世界に生まれ出ること)しなければいけなく
成る理由を説明します。
まず人が怒るということは、
* 怒りの対象(他人)へ悪いマイナス磁気を与えて、
他人に見えないいのちの傷を与えることに成ります。
* このことは、その自分が嫌いな相手との間に、
霊的磁気の貸し借りの借金を増やして行くことに成ります。
* 死後は、その借金を帳消しにするために因果(貸し借り)を消すような
組み合わせに出会う縁の者同士が、自動的に組まれて生まれ出る法則が存在します。
* つまり、自分が嫌いな相手ほど、
再び来生でも縁ある者同士(または家族、親族)として出会います。
* 激しく憎み合って、肉体的にも傷つけ合った者同士ほど、
更に深い因縁のために近い身内、または家族・伴侶・親族と成りやすいのです。
* 金銭も含めて、大きな貸し借りを残したまま今生を終わった者同士ほど、
来生は違う形でも(下の処理を含めた介護をするなど)縁者となり転生します。
* つまり、本当に嫌いな相手、二度と絶対に出会いたく無い相手には、
自分は絶対に怒るべきでは無いし、嫌な思いを持つべきではないのです。
はっきり言いますが、悪い業が増さないように再び出会わないためにです。
* 自分が怒ったり相手に干渉しますと、その人との間の貸し借りの縁が強化されて行き、
再び来生も出会う磁石同士に必ず成ってしくからです。これが因果の法則なのです。
* だから、本当に怒るべき相手には、逆に冷めるべきであり、干渉するべきではないのです。
わざわざ露骨に無視をすることも不要です。それも縁が生じます。
* もう良いからと、その相手を逆にお互い仏の子なのだからと、
許す・赦すべきなのです。距離を置いて温かい目で見守るということなのです。
是非、腹が立ったらお念仏申して下さい。あなたの怒りをすべて阿弥陀さんが
微笑んで「もう、いいじゃない」と引き受けて下さいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
業を変える
「心を鍛える喜び パート1」
いやなことをされても言われても
耐え忍ぶことができ、
心にダメージを負わない
打たれ強さを身につけること。
耳に痛いように思える内容のことを言われても、
それが自分を良い方向に変えるのに
役立つ内容であれば、
プライドなど捨てて聞き入れる。
そのようなあ素直さが身についていること。
心を鍛えようとして、
トレーニングしている修行者に会って
見習うことや、ふさわしいタイミングで
心の仕組みを話題にして
話し合えるような相手がいること。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の諺 「月下氷人(げっかひょうじん)」
【意味】
縁結びの神様のこと。
転じて、仲人(なこうど:結婚の仲立ちをする人)
をいう。
【由来】
月夜に会った老人に将来の妻を予言されたという話と、
氷の上で氷の下にいる人と話した夢を見て、
夢占いをしてもらったら、
結婚の仲立ちをする前ぶれだといわれたという話が
合わさってできた言葉。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本人の道徳心
「誠実勤勉」
「誠実勤勉」は「誠実」だけでもいい。
誠実であれば必然的に勤勉になるからである。
さらにいえば、誠実の実も要らない。
「誠」があれば十分である。
一時が万事で、誠があれば結局、
勤勉誠実になるというのである。
・・・・・・・・・・・・・