「他人を安心させる人は誰もが目覚めたブッダ」
荒々しくなく、
物事を誠意を持って伝えようとするウソの無い言葉を話し、
自分の言葉により他人の気持ちを傷付けない人。
そういう人を私・釈尊は、最高の人間とします。
(原始仏典 ダンマパダ26章-408)
※誰もが必ず死んでコノ世から去ることを思いますと、
釈尊の上記の言葉が重要な意味を持つことが分かります。
他人への態度は、自分自身への言葉でもあるわけです
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誰もが必ず死んでコノ世から去ることを思いますと、
釈尊の上記の言葉が重要な意味を持つことが分かります。
他人への態度は、自分自身への言葉でもあるわけです。
* 自分自身の運命を決めているのは、自分が他人へ取る対応・態度の反射だった。
ということが完全に言えることを感じます。
やはりコノ世は完璧に自業自得・因果の法則が貫徹をしています。
だから焦らずに、心配せずに、すべては自分次第であり、
誰もが本当の自分(仏性)との対話・心のキャッチボールをしています。
他人への誠実は、自分自身への誠実であることを忘れずに、
世間の人々の中を生きましょう。
どんな小さなこともムダではありません。
短い期間(人生)ぐらいは、
我慢も苦しさも本当に良い思い出に変わることを私は思い出します。
誰もがまだまだ行けます。生けます。
行け行け、進め進め。自分の心の深奥が許すまで。
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業を変える
「心の整えられた人同士でともに暮らす」
表面的には優秀だったり才能があったりしても、
自分の内面を見つめることなく
感情をコントロールしようとしていない人とは
友だちにならないこと。
そんな人と親しくするなら、
君は長らく、その人の欲望や怒りに
悪影響を受けいやな思いをするだろう。
自らの感情をコントロールしようとしない人と
いっしょに暮らすのは、
あたかもいやな敵といっしょに住まうようなもの。
それは、君にとってずっと苦しみでありつづけるだろう。
心の整えられた人同士で
いっしょに親しく住むのが、
あなたの心の安らぎと互いの成長のためになる。
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今日の諺 「面従腹背(めんじゅうふくはい)」
【意味】
言うことを聞くふりをしているが、
心の中では反抗していること。
「面従(めんじゅう)」は人の前では従うこと
「腹背(ふくはい)」はおなかの中(心)では
背いているという意味。
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日本人の道徳心
「順境の落とし穴」
とかく順境にあった人は人の恩を忘れたり
苦しかったときのことを忘れて
いい気になりやすいものだが、
それは修養のできていないことを
身をもって示しているようなものである。
そうしたことは決して忘れてはならない、
忘れないように心がけることが大切である。
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