「救いとは自己を回復する歓喜のこと」
今の自分は、自分自身の責任者であり管理者なのです。
また自分とは、自分自身が一番に帰るべき故郷なのです。
宗教的な救いとはコノ世的な幸福感を手に入れるではなく、
心が真の喜びに満たされて、本当の自分に帰る、偽りのない、
本当のありのままの自己を回復することにあります。
その上で、自分で自分自身を育てるという概念・意識が大切です。
まるで、実業家が良い馬を育てるようにしてです。
(ダンマパダ25章-380番)
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釈尊いわく、
(1) 今の自分は、他人のせいではなく、
自分が自分自身を育てた結果であることを直視しなさい。
(2) 誰もが、本当の自分自身に帰ることが、
その人の最大の幸福であることを知りなさい。
(3) 自分で自分自身をじょうずに誘導して育てなければ生けない。
現代人の多くは、
自分で自分自身を育てるという子育てに失敗しているかも知れません。
それ以前に、自分は誰かに育てて貰わなければ生けない、
他人に指導してもらう必要が有る、と思い込んでいる人が多いと思います。
* 先ず、自分で自分自身を育てなければ生けない、
ということ自体を知りません。認識していません。
ここで、釈尊の考えの中心に在る思想は、
「天上天下 唯我独尊」(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)
つまり、
* すべては1つしか存在していない。
* 人は、自分という宇宙を完成させることが、
全宇宙を完成させることに成る。
というものなのです。
この項でも同じ意味を釈尊は言っています。
* 本当の自分に帰りなさい、戻りなさい。
* 自分という宇宙を完成させなさい。
これはもう、人がコノ世に生まれて来る究極の目的です。
ただ、多くの人類を観ても分かることなのですが、
* 自分が、他人を育てることも、自分自身を育てていることに成る。
* 自分の子供を育てることは、本当は自分自身を育てている。
という転写が発生しているのです。
自分が高齢に成っても、自分で自分自身を育てるという概念・意識が大切です。
そう思える限り、その人は自分自身の宇宙の完成に近付いて行くのです。
自分なりの宇宙をコノ世で仕上げて、そして死後に持参して、
その宇宙の中で暮らすのがアノ世の真相なのです。
あなたはどんな宇宙を完成させたいのでしょうか。
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業を変える「死してなお怒りの業は」
もしも因果応報の法則もしらず、我が物顔で、
怒りの業を積み上げ続けて、あなたが死して
後はそれが身体を持たない怒りの思念のみと
して生まれ変わったなら、目の前の現実など
どこにもなく、ただひたすらに思念のみが
夢の中のように妄想をつくりあげ、あなた
の目に何度も何度も怒りの幻覚を見せつけ
るだろう。
たとえば膿や血の混じった鍋で自分がグツ
グツ煮られる幻覚を見続ける。
肉体を持った時の浅ましき怒り、己の善を
正当化してやまない怒り、理屈はどうあれ
怒りを正当化するほど愚かなものはない。
釈尊が「常に安住の安らぎの心の中に生き
ることが生まれてきた目的である」と言わ
れたのは、真実はそこにあるからなのだ。
怒りを持ち続けてきた者は、過去の怒りが
残響していて怒りを反復したいがゆえに、
自分からわざわざ怒りたくなるような嫌な
幻想と幻覚を見て悩み恐れ、苦しみ続ける
羽目となる
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今日の諺
「論より証拠」
意味:あれこれ言い合うより、一つの証拠を
出すことがはっきりするということ。
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日本人の道徳心
「天」を意識する。「仏」を意識する。「神」
を意識する。人それぞれで名称は違うが、
上記の大いなるものを意識することで生まれる
ような「自信」があるのとないのとでは、やは
り危機管理に対する反応が全く違ってくる。
「意識するむことによって「量子力学」が働き、
ひょっとすると起こる現象そのモノが違ってし
まうかもしれない。
私は過去の様々な体験から、本当の自信は思わ
ざる幸運を引き寄せる大きな力があると感じ取
っている。
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