「自分のモノは何もなかった。執着しない人は最強である」
* 自分が今の持つものを失っても平気。
* 何も持たないことも平気。
このような「すべては借り物である」と執着しない人物こそが、
菩薩になって行かれます。(原始仏典 ダンマパダ25章-367番)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「自分の持つ」
名称(地位・名声・学位・経歴・・・・・)と、
形(環境・財産・家族・持ち物・・・・・)などに、
「自分のモノである」という意識をまったく持たない人。
また逆に、自分が何も持っていなくても、まったく落ち込まない人。
このような人物こそが、菩薩になって行かれます。
(原始仏典 ダンマパダ25章-367番)
* 釈尊はこの項で、
「自分のモノである」という意識を持つ限りダメだと仰っています。
自分の肉体でさえも、「自分のモノ」という意識を持てば不健康に成って行きます。
自分は先祖から肉体を
「借りている」「預かっているだけ」
「いつかキレイに返さなければ生けない」
と素直に思える人は、健康に注意し、食生活を節制し、健康に成って行きます。
そして更に釈尊は、
* 自分が何も持たないことを悲しむ人もダメだと言っています。
人間は、この2点に注意すれば、段々と人生が楽しく成って行きます。
苦しみが減って行くのです。
* 自分が今の持つものを失っても平気。
* 何も持たないことも平気。
これでは悲しむ機会が、その人には無いのが冷静な現実です。
後は、楽しく成るしかないのです。
要するに執着を持たない、執着から離れた人間は、
運気も運命も最強だということなのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日の諺
猫の首に鈴をつける
意味:よいアイデアでも、実行する人が
いないような難しいこと。ネズミが
猫の首に鈴をつける相談をしたが、
誰もつけにいかないという。イソップ
童話から。
・・・・・・・・・・・・
日本人の道徳心
勉強せよ「蒔かぬ種は生えぬ」
ここに二人の男がいます。二人は元、同じ
学校にいました。一人は先生の戒めを守らず、
怠けてばかりいたので、こんな哀れな人と
成りました。一人はよく先生の教えを聞いて、
勉強したので、今は立派な人となりました。
蒔かぬ種は生えぬ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・