「感動と共に生きることが仏さまへの恩返し」
地獄と天国が交じり合う、この世の自分の環境の中で一生懸命
頑張ろうとすることは、非常に大切であり、大変な修行となり、
神々さえも賞賛してくれると釈尊は仰っています。
(原始仏典 ダンマパダ25章-366番)
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人生で自分が得る財産は少なくても、
人は自分が得たモノ、与えられたモノを軽視しては生けません。
今の自分に与えられたモノの中に住みながら、
それでも勤勉に清く正しく生きる人々は、
神々からも拝まれます。
(原始仏典 ダンマパダ25章-366番)
人は何事も、他人との比較でしか自分のことを知ろうとはしません。
今の自分を知るには、「他人よりも」何かが多い・少ない、キレイ・キタナイ、
金持ちか・貧乏か、役職が上か下か、などなど・・・・・。
他人と比較をすることで、人は安心したり悲しんだりしています。
他人と比較して分かる自分とは、それは本当の自分なのでしょうか?
まったく違います。
むしろ、他人との比較で知る自分とは、その実態が真逆であるのが真実です。
ここで釈尊は、
「今の自分を見なさい」
「今のソレ、が因果の帳尻も合わせた自分の最高・最善なんだよ」
「いったい、何を悲しむことがあろうか?」
「今の自分の条件の中でも頑張ろうとする人は、神々からも賞賛される」
と、仰っています。
つまり、それほどコノ世は難しくて難関であり、
特殊で素晴らしくもある世界なのです。
地獄と浄土が共存する世界とは、コノ世しか存在しません。
水と油が混ざるようなコノ世が存在するのは、
まさに期間限定の奇跡だと霊的に言えます。
他の世界での区別とは、非常にハッキリとしており、
決して混ざることが有り得ません。
だからコノ世の今の自分の環境の中でも頑張ろうとすることは、
非常に大切であり、大変な修行となり、神々さえも賞賛してくれます。
他人が見ていなくても関係ないのです。自分の心の中の仏さまがいつも観ています。
今日も精一杯に明るく頑張りましょう。
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今日の諺
一を聞いて十を知る
意味:少し(一)聞いただけで、物事の全て(十)
が分かってしまう。とてもかしこいとい
うたとえ。
日本人の道徳心
「正直は一生の宝」
幼少期の松平信綱は将軍の屋敷で、朋輩と戯れて
大切な屏風を破りました。まもなく将軍がそこを
通りかかり、「これは誰が破ったのか」ととがめ
ました。信綱は「私が破りました」と少しも隠さ
ず申し上げてお詫びしますと、将軍はかえってそ
の正直なのを褒めました。
噓つきは泥棒の始まり。正直は一生の宝です。