「険しい峰を歩いたこともすべて感謝の思い出に変わる」
自身に起こっていることは「すべて良し」がコノ世の実相なのです。
(原始仏典 ダンマパダ24章-349番)
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色々なことを心配して心が乱れている人。
激しい色情が心に渦巻いている人。
実際にはこのような人なのに、すずしい顔をして
愛欲こそは清らかな行為だと言う人がいます。
このような人には、色情がますます大きく成ります。
このような人は、輪廻(りんね・生まれ変わり)の
束縛のクサリをますます強固にして行きます。
(原始仏典 ダンマパダ24章-349番)
未だに現代社会でも、神仏も因果も、
その存在があやふやな状態です。
信じるか否かのレベルの状態です。
でも、だからこそ意味があるのです。
そのような信じるに厳しい環境でも、
それを信じられる心の段階に「因果のクサリ」の昇華は
起こり得るのです。
この大宇宙は、
あえてこのニュートラル(中立)の状態をコノ世に出現させています。
その代わり、為し難きを成すという因果の昇華は起こり得るのです。
感謝には意味が無い、と思わせる社会の中でも、
* 自分を産んでくれた存在への感謝
* 人類発生以来、何十万年も切れなかった男女
(先祖・遺伝子)への感謝
* 自分が生かされている社会・国・地球への感謝
これらへ日々感謝する行為の「継続」が出来る人間の心と、
* 良心に恥じる行動をしない。
* 他人のために成る、他人を喜ばせることをすること。
* 家族や社会のために働くこと。
「感謝」と「行動」という、この大きな2点が重なることにより、
「因果のクサリ」の昇華が起こります。
条件の悪い転生(生まれ変わり)をしなくても済むのです。
しかし、
上記の法則を本当に理解が出来ますと、
今の自分が苦しくても、悲しくても、・・・・
これこそ大きな昇華のチャンスだと
燃えることが人には可能なのです。
自分が最善を尽くしていても悪いことが起きれば、
その背景には大きな昇華が起こっています。
人生をまたいだ視点では、
それは逆にラッキーだったということが法則
の視点では言えます。
要は、今の自分に良いことが起これば感謝します。
自分の最善を尽くしても悪いことが起これば、
これも感謝すべき見えない善徳貯金を行っているのです。
要は、「すべて良し」がコノ世の実相なのです。
これを無理に信じることは不要です。
自分なりに思いっ切り最善を「尽くし切れば」、
誰でも清々しい体験から自然と分かることなのです。
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日本人の道徳教育
今の教育の間違いは、子どもに理屈を言う事
子どもに善悪を教える時、そこには理屈は
いりません。
「いいものはいい」「ダメなものはダメ」
それで十分。
「よく学び、よく遊べ」「時刻を守れ」
「怠けるな」「友だちは助け合え」
「喧嘩をするな」「元気よくあれ」
「行儀よくせよ」「場をわきまえよ」
「始末をよくせよ」「物を粗末に扱う
な」「先祖を敬え」「親の恩を知れ」
「親を大切にせよ」「親のいいつけを
守れ」「兄弟仲良くせよ」「家庭を大切
にせよ」「わがままを言うな」「ウソを
つくな」「正直であれ」「約束を守れ」
※修身はこの一文のようにある種、命令の
ように述べられていますが、「この言葉
を実践し、経験を積んでいくことこそが
大切なのだ」という理屈より実践の教え
なのです。これらの内容は時代や地域を
問わず通用する分かりやすく物事の本質
を言い当てている有難い言葉なのです。
本来、子どもに善悪を教える時、そこに
は理屈はいりません。
親が本気で子どもに伝えます。
「ダメなものはダメ」それで十分子ども
には伝わります。
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日本人の諺
足を引っ張る
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書道、宿題提出