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8/31(土)「人として何より大切なこと」

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歳をとって頭が白髪になったからといって、
誰もが長老の名に値するわけではありません。
ただ歳を重ねただけの人は、肉体が老化しただけの人間です。
誠実で、道徳観が有り、情け心が有り、
他人を傷付けず、他人に譲(ゆず)る心を持ち、節制した生活をし、
清潔感があり、このような配慮が出来る人こそが、
長老と呼ばれるべきなのです。
(原始仏典 ダンマパダ19章-260番・261番)
歳を取るとは年齢の証。過去に感謝し、合掌しながら念仏申し
力強く未来に目を向ける。そういうどっしりとした生き様を
家族には見せていきたい。

 

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遠く宿縁を慶べ

仏縁があって長松寺の門信徒になってくれたスタッフ

たちは、毎朝六時から「晨朝勤行」をお勤めし、法話

を聴聞してくれます。もう何十年もコツコツと聴聞

を続けてくれたお陰で、いろんなことがありますが、

みんな仏さまが中心の生き方に転換されていきました。

 

松山さんのお母さんである亡富美子さんも法友の一人

でしたので、明日は彼女の笑顔の写真を飾って、

生前を偲ばせていただきます。

 

また亡弟さんは、あまりお付き合いがあった方で

はなかったのですが、亡くなる前の一か月間、

そして臨終後のお通夜や葬儀や四十九日法要には

離婚された元の奥様と成人になった二人の男の子

が駆けつけて来てくれ、ご本人は、この世の最期

の最期の仏さまからのサプライズに大変喜び、

とっても心から幸せそうでした。

納骨の時は、この子たち二人も松山さんと共に

広島の長松寺まで来てくれたんだっけ。いい子たち

だったなあ・・。

 

「仏の慈悲は、苦あるものに偏に重し」と言われ

ます。これは、綺麗に澄んだ清水に住む人よりも、

怒りや恨みで苦しみ、泥水をすすっている人にこそ、

仏さまの慈悲は強くかかっているということです。

 

泥水をすすり苦しんでいる人の心にこそ、まことの

幸せの蓮の花を泥の中にでも咲かせてやりたい。

そういう慈悲の心をあらわした蓮の花が、元奥さんと

二人の子どもたちと共にすごした最後の一か月でした。

 

そしてお通夜、葬儀ではコブクロの「蕾」が流れてい

たなあ・・。

そんなことを思い出しながら、明日はしっかりお二人の

法事を勤めます。

 

明日は、広島、兵庫、福井、京都から台風のために来れ

なかった法友の皆さん。午前十一時から「仏説阿弥陀経

(和讃入り)」をお勤めしますので、時間が取れましたら

各ご家庭の御仏壇で同時間一緒に感謝でお勤めできたら

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