教養としての東洋哲学「自分とか、ないから」
著:しんめいP
YouTubeで紹介されていたこの本。
面白そうなのでAmazonで購入し、一気に読破。(大笑いで・・)
この本のポイントは、
一章「無我 自分なんてない」ブッダの哲学
二章「空 この世はフィクション」 龍樹の哲学
三章「道 ありのままが最強」 老子と荘子の哲学
四章「禅 言葉はいらねぇ」 達磨の哲学
五章「他力 ダメなやつほど救われる」 親鸞の哲学
六章「密教 欲があってもよし」 空海の哲学
6人の仏教哲学者を
この本の中で比較している部分があるんですが、
一つの学校の教室の中でのポジションを・・、
●ブッダ 「王子時代なら、教室の端で窓の外をながめているタイプ」
●竜樹 「クラスメ―トはおろか先生まで論破する、超面倒なひろゆき
みたいなタイプ」
●老子 「そもそも教室にいない、校庭で草と同化している」
●荘子 「一度たりとも学校にきたことがない」
●達磨大師「無言。教室の後ろの壁にむかってずっと座っている」
●親鸞 「テストでわざと0点を取り続けて退学になった」
このように、ここまで誰一人「陽キャラ」はいない。
普通の社会性をもってたら、そもそも東洋哲学をやる必要ないしね。
●空海 「クラスの中心にいる人気者だっだろう。えげつない社会性、
東洋哲学の中では、超レアケース。空海は空・海・太陽
そのものになった。究極の陽キャラだ」
親鸞さまは、
「悟れると信じて、自力で空を目指すより、
悟れないことを認めると空のほうからこっちにやってくる。」
自分を正直者と思ってる人は、全員「ウソつき」。
自分を「ウソつき」と思っている人は、全員「正直者」。
自分が「ウソつき」だと認められた時に、
はじめて「正直者」になれる。
ただ、ここに至るには
わが身の愚をわが身が知らないと、
妙好人のような心底
ふか~~い、
味わいのある「ありがたい」は出てこないよな。
とにかく、
それぞれの仏教哲学の特徴をつかんでいて
とても分かりやすく面白かった。
また、ためにもなった。
ここでは超簡単に紹介しておきましたが、
是非一度読んでみてください
しんめいPさんが書いた「自分とか、ないから」。