迷妄である無知こそは、恐れるべき最大の汚れです。
コノ世の修行(幸福)を目指す人は、無知を捨て去り、
無知ではない人を目指しましょう。
(原始仏典 ダンマパダ18章-243番)
★釈尊は、人間にとって「無知」こそが最も罪深いことだと
仰っています。
人は、無知の間は、他人を非難し、悪事を働き、罪を犯し続けます。
相手の事情を知る、親の気持ちを知る、家族の状況を知る、会社の
財務状態を正しく知る。
つまり、他者の正しい情報を知るだけでも、疑いや怒りが消え、
他者を誹謗中傷することが無くなる場合もあります。
無知とは「思いやりの無さ」と言っても過言ではありません。
まず相手から無言で発せられる情報を読み取ろうとする「思いやり」や
「客観的で理性的な姿勢」を身に付けるだけでも、
思い込みや感情的な「無知」と「不幸」から離れることが
必ず出来るのです。
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自分が無知だったために、離婚して苦労したり、
他人から非難されたり、自分が他人に対して罪を犯したりしてしまうのです。
自分が無知でなければ、要らぬ災難を避けることも可能なのです。
すべての不幸は、自分の無知から起こっている可能性を素直に認めましょう。
自分が無知であることを素直に謙虚に認めて、
相手から無言で発せられている情報を読み取ろうとする姿勢を持つだけでも、
今の自分の状況が変わり始めます。
(中略)
無知=思いやりが無い、と言っても過言ではありません。
これは勉強でも言えまして、世界的な数学者である岡潔(おか・きよし)さんは、
数学は情緒で解くと断言されています。
つまりは、その問題への思いやりを持てば、
一番に「落ち着く答え」「安定した解」へと必ず「導かれる」のです。
イヤイヤ勉強するのでは無く、その教科への愛情と思いやりを持てば、
自分の勉強のすべてが変わります。
人間の、どんな汚(よご)れや穢(けが)れでも、
自分が思いやりを持つことで必ず浄化されて行きます。
自分が過去にどんな罪を犯していましても、
他者への思いやりを意識することで、
自分の心身が本当に清らかに変わって行くのです。
観世音菩薩とは、まさに「思いやり力」のカタマリです。
自分自身が、他者への思いやり力を意識することで、
自分が観世音菩薩へと変化して行くことが霊的な真実です。
これが、空海さんが仰った即身成仏(そくしんじょうぶつ)の意味です。
自分が「思いやり力」を持つことで、無知と不幸から離れることが必ず出来ます。