わたしゃ あなたに心とられて 南無阿弥陀仏」
鉄が錆びますと、鉄自体から生まれた錆のために、
鉄の全体が変質してダメになってしまいます。
人間も悪事を継続していますと、自分がした悪事により、
自分自身が最悪へと導かれて行きます。
(原始仏典 ダンマパダ18章-240番)
人は「自分が」「自分次第で」と思っていますが、真相は
自分の生活習慣と価値観が今の自分の人生を誘導し形成し
て行くということです。
🌌念仏者の生き方
「如来さん、あなた、私に身をまかせ、わたしゃあなたに
心とられて、南無阿弥陀仏」浅原才一
「あなた、私に身をまかせ」とは、
阿弥陀さんはいつも私のところに来ていてくだる。
そして、
「わたしゃ、あなたに心とられて、南無阿弥陀仏」
だからこそ、私はいつも、悲しい心も、苦しい心も、
お粗末な地獄ゆきの心も、みんなあなたに取られて、
すっかりあずけてしまって(価値観が変わって)、
安心した日暮らしをさせていただいております、
ということをうたった歌でしょう。
お念仏の中で、仏と私が、お互いにまかせとられて、
一体となって生活するよろこびの暮らしのさまを歌ったものです。
娑婆のど真ん中を生きながら、
すでにお浄土のただ中を生かされていただいているのです。
信楽峻麿著「仏教行事の心を開く」
(感想)
この項の釈尊の真理から言えますことは、
自分の生活習慣が今の自分の人生を形成して行くということです。
人は「自分が」「自分次第」だと思っていますが、真相は違うのです。
今の自分がする・した行動や習慣が、
「独立して」、自分自身を誘導して行くということです。
だから人間に、自分の意志に反した行動や選択をしてしまうことが起こるのは、
自分の今までの生活習慣が、
今の自分の意志以上の拘束力を持つという真相のためです。
だから、
「どうしてアノ時に、あんな選択を自分がしてしまったのだろうか?」
と思う時は、それまでの自分がしていた事や、
生活習慣を思い出せば良いです。
そこに何らかの原因が必ず存在します。
そうしますと、今の自分が行う先祖への感謝や供養行為。
自分の右胸に内在する大いなる存在(仏性・良心)へ感謝する習慣。
このような習慣と現実の生活努力が、
これからの自分の人生を決めて行くと考えますと、
どんなことも自分で変えて行けるという自信が持てます。
もし自信が持てなければ、
まだ自分の生活習慣が甘いのです。
自分で自信が持てるまで、今の生活を大切に致しましょう。
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お客様の声
君津本店
●”ずっと前から来てみたかった”と
八街より電車を乗り継いで、車いすで
ご来店。”お店の入り口が写真で見た
通りですね”と、喜んで頂きました。