身体を自制し、言葉のいらだちを静め、
言葉による悪い行いを捨て、
言葉による善い行いをなせ。
(原始仏典 ダンマパダ17章-231番)
お念仏申し、阿弥陀さん(大宇宙)のはたらきへ、
この身をゆだねることで、こざかしい怒りや
とらわれが消え、感謝が起こってきます。
そして悪いはからいを持っていた人でも、心が
柔らかく温かくなることで、人を思いやる行いを
するようになっていきます。「悪を転じて徳を成す」教行信証
(感想)
欲情を感じるのも、興奮も、性的な絶頂も、
すべて自分の「心が」感じることであることを忘れてはいけません。
これを肉体に有ると、勘違いしているのが多くの人間なのです。
つまり性欲とは、どんな肉体行為でも最終的には
昇華し得ないものであることを知って置いてください。
どんな道具やモノや他人を使用しても同じです。
最終的には、自分の心を満足させるしか、
本当の性的昇華は起こらないのです。
インドの聖者・ラーマクリシュナは、
心の覚醒=最高のエクスタシー、恍惚(こうこつ)、
忘我、であると断言しています。
どんな性行為の絶頂よりも、
心の覚醒は数倍の快楽だとしています。
人間は、自分の右胸に内在する大いなる存在・母性のカタマリとの
融合(覚醒)こそが、最高の快楽でもあるのです。
私の体験でも内在する母性(仏性)との融合とは、
最高の快楽です。
これを1度でも体験しますと、肉体による性的な絶頂とは、
耳かきぐらいの気持ちよさであったことを思い知ります。
ただ、頻繁にこのような体験を日常生活で繰り返すことは、
自分の社会生活に影響しますので「来そうだ」
という感覚が事前に分かりますのでセーブをしています。
意識を他に向けることで止めることも可能です。
このような自分に内在する母性に目覚めるには、
* 日々の生活の中で感謝すること。
* 他人へ慈悲・愛情・思いやりを持つこと。
* 自分に内在する仏様と先祖(遺伝子DNA)に
感謝をする行為をして行くこと。
この継続が、ある日に自分に内在する
大いなる母性(仏性)の目覚めを起こします。
まさに阿弥陀さんと一つ、弥陀同体が「起」こります。
コノ世のすべての刺激も快楽も肉体には無く、
それを感じることが出来る自分の心にこそ在ることを忘れないでください。
だからこそ、自分の心を守りましょう。
自分の心(良心)を大切にしましょう。
そうすることで、「他人の心も」
本当に大切にすることが可能に成るのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お客様の声
伊勢丹ウォータークリーニング
●ダウンコートの汚れがきれいに落ちて
喜んで頂きました。
阪急ウォータークリーニング
●以前に伊勢丹をご利用下さっていた方が
7点承りいたしました。
よろしくお願いいたします。