●人間に生まれることは得難く、死すべき命を生きるのは
難しい。正しい教えを聴くことは稀で、ブッダが出現した
まうことも稀である。( ダンマパダ14章-182番)
※他の仏典でも釈尊は「この世に生まれることの難しさ」を
何度も示唆されています。お仏壇の前に寝かされた「未熟児
で生まれてきた小さな長女を、「ここに、よく生まれてきて
くれたね。ありがとうね。なんまんだぶつ」と、何度も何度
もお念仏申しながら拝んでくれていた、年老いた祖母の慈愛
に満ちた姿が今だ忘れられません。
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これは原始仏典に残る釈尊の直伝の言葉です。
今に改めて視ましても、もの凄い量の示唆が含蓄されています。
他の仏典でも釈尊は、
「この世に生まれることの超難しさ」を何度も示唆されています。
途方もない奇跡が連続しないと、
人が生まれることは出来ないと釈尊は言われました。
すると仏教では、
・ 他人を見れば、最初に拝みます。
これは、ただの挨拶では無いのです。
人という生きた奇跡に会えば、
「もう拝むしか無い」という謙虚で神聖な気持ちからの礼拝なのです。
その相手が、どんなに今がダメな人でも、
そこにその人が存在するという奇跡に対して拝みます。