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7/27(土)「人のいのちは生き通しであり、不死である」

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怠(なま)けずに頑張りましょう。善行の道徳(理)を

行動しなさい。善い道徳(理)に従って生きる人は、

アノ世でもコノ世でも安らかである。

(ダンマパダ第13章168番)

※釈尊は宇宙という大きな意味での別世界や、如来や

菩薩という聖なる存在が実在することは示唆されまし

たが、人の死後の存在等については、発言をされませ

んでした。従って「あの世」という言葉を使われた意

味は大きいです。つまり、人の「いのち」は「生き通

し」であり不死であること、自分の心と行いが住む環

境が死後に変わるだけであり、コノ世とアノ世と分け

る必要が無いこと。つまり「今」あなたが生きてる世

界が現れる、実にシンプル。だから善い道徳に従って

生きなさいと、釈は仰っているのです。

 

 

 

(感想)

私の釈尊についての記憶では、

釈尊が「アノ世」という意味の示唆を行ったことは、

あまり無いのです。

だから、「珍しい」という思いから注目します。

この意味は大きいのです。

釈尊は宇宙という大きな意味での別世界や、

如来や菩薩という聖なる存在が

実在することは示唆されましたが、

人の死後の存在や、人のいのちが移行する世界

については、

発言をされませんでした。

(中略)

これは、高い霊性からの視点では、

人のいのちは「生き通し」であり不死であること、

自分の心が住む環境が死後に変わるだけであり、

コノ世とアノ世と分ける必要が無いこと、

このようなことが理由であると感じます。

従って釈尊がこの章で、

「アノ世でもコノ世でも平安の中で暮らすことに成るのです」

と発言された意味は大きく、

私たちは今の自分の心境のままで継続して、

アノ世で暮らすことに成ると思って置いてください。

だからこそ、今のコノ世での善行が大切なのです。

コノ世だけでムダには成らないのです。

アノ世にも持ち越すのです。

(中略)

だから釈尊も、

生きる短い間ぐらいは、

ひたすら善行の道徳に生きなさいと、

この章で2度も繰り返し示唆されています。

そうすれば死後も、善行の道徳を行う者同士が

住む世界に行くことに成るからです。

その世界を第三者が見ますと、

とても平和な善い世界に見えます。

死んだら終わり、

ではないのです。

 

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