自分こそが自分の主である。他人がどうして主であり
得ようか。自制したならば、得難き主を得る。
( ダンマパダ12章-160番)
※人は苦しい時は「困った時の神頼み」のよう
に何かに頼ろうとします。しかし釈尊は、自分の
道を開くのはあくまで自分自身。自分の心の中の
良心に従って自己を節制して苦しみを乗り越えて
いく人、それこそが「目覚めた者」だと。
「目覚めた者」は自由に成り自己を尊び信頼しま
す。さすれば、自分の思うことの大半が、時間を
置いて出現することになると、釈尊は仰っています。
(感想)
多くの人間が他の何かに支配されて生きています。
自分を制御しているのは自分自身では無くて、他の
何か?ということです。
その他の何かとは、家庭内暴力をする家族であったり、
異性関係や、借金、ネットゲーム、薬物依存、新興宗教・・・・・
人により自分の支配者は千差万別です。
今の自分を支配するモノのために、
自分の生活がそれを中心にして「知らずに」支配されています。
自分の主が自分では無いために、
他に支配されるロボットであるのが霊的な状態です。
自分の意志が閉ざされているために、
何も成さないままムダな「繰り返し」の時間を浪費して行きます。
要は、これでは幸福には成れないのです。
すべての運気が悪循環と成ります。
これの原因が、本当の自分自身を押し込めて、
他のモノに支配されているからです。
他のモノに支配されている人間には、
貧乏神も寄って来ます。
では、自分が自分自身の支配者と成れれば、
どうなるのでしょうか?
これを「目覚めた者」ということが出来ます。
目覚めた者は、本当に自由に成れます。
自分が「思う」ことが、
時間差を置いて出現することに成るからです。
祈願など不要です。
自分が思うことの大半が、
後で気が付けば実現しているということが始まります。
では、目覚めた者に自分自身が成れるためには、
どうすれば良いのでしょうか?
そこで釈尊は、
「人は、自分自身の主(あるじ)であるべきです」
「そして、その方法が、
自分自身で節制した生活を始めることです」
と、この章で説明しています。
お客様の声
君津本店
●前回、学生服のズボンの丈を伸ばす
修理とクリーニングを出された方が
"今回は、丈は大丈夫なのでクリーニ
ングと、裾がほつれてしまったので
そこもお願いします”と、育ち盛りの
息子さんを持つお母さんが嬉しそう
にお話しされました。
伊勢丹ウォータークリーニング
●仕上がったセーターのヘアーカラー
シミが落ちてとても喜んで頂きました。
阪急メンズ東京ウォーター
●初めての方がバッグを持ってご来店
され、買ったのは10年前以上だけど
”気に入っているから使いたくて”と
おっしゃられておりました。