空中に居ても、海の中に居ても、山奥の洞窟に隠れていても、
世界のどんな場所に逃れても、死の恐怖から解放される場所は
ありません。
※とんちで有名な禅僧である一休(一休宗純)さんの最後の言葉は
「死にとうない」でした。一休さんは当時の平均寿命の約2倍という
87歳まで生きられた長寿ですから、やり残した執着などあるはず
がありません。仏教で「生死一如」生と死は本質的に同じと言います。
一休さんは、最期の最期まで「生きよう」とされていたのです。
また、生き残る周囲の人たちにも、この世の素晴らしさとかけがえ
の無さを「死にとうない」は教えているのです。また、この世に
残る者たちへの最高の賛美であり、御礼の言葉だったのです。
私たちも自分の臨終が近づけば、死の恐怖ではなく、周囲の縁者に
「今までありがとう」「本当によくしていただいた」「みんなと出
会えて良かった」「またお浄土で遇おう」と感謝の気持を言い残し
て去りたいものです。
(原始仏典 ダンマパダ9章-128番)
(感想)
「人間は死の恐怖から離れることは不可能だ」
「だから、逆に死の恐怖から、逃げようとしては生けない」
「だから、逆に死を正しく怖がりなさい。正しく恐れなさい」
「そして、死を恐れるからこそ、今を真剣に明るく生きなさい。
今の内に、自分が出来ることを思いっ切り頑張りなさい」
「人間は、コノ世が期間限定だからこそ、逆に頑張れるのです。
コノ世が永遠では、誰も頑張ることが出来ません」
釈尊のこの章を読みまして、以上のような印象を感得しました。
(中略)
人は、自分の右胸に永遠なる実在(良心・仏性)を感じられれば、
自分の中に(仏さまに全てお任せすれば)求めれば、
その時に初めて死の恐怖から本当に解放されるのです。
自分の心が死なないことを真(深)から感じられるのです。
自分の心が決して「死ねない」存在であることが自然と分かるのです。