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7/12(金)「アタリマエのことへ感謝できる自分でいることが一番です」

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多くの財宝を運ぶ小さな隊商が、危険な道を避ける
ように、生きたいと願う人が毒を避けるように、
もろもろの悪い行いを避けよ。
人間は、色々な悪からは離れることを常に意識し
ておいたほうが良いと釈尊は仰っています。
親鸞聖人も「悪を好む人をば、慎んで遠ざかれ」
(末鐙鈔)とはっきりと言い切っておられます。
生かされている我が身、アタリマエの日常生
感謝が出来る自分でいましょう
(原始仏典 ダンマパダ9章-123番)

 

(感想)
人間とは、
ありきたりな日常生活に飽きて、
たまには刺激が欲しいと思ってしまうことがあります。
しかし、人間のサガ(性)とは、
人間の社会とは、
・・・・そのほんの少しの刺激だけでは終わらないことが
多いのです。
中には、
結局は破滅に繋がることがあります。
最初は、
ほんの些細な切っ掛けであってもです。
本当に、
最初が肝心だったということです。

 

人はどうして、
アタリマエな日常生活に飽きてしまうのでしょうか?
でも、生死をさまよう大病から復帰された人は、
アタリマエな日常生活が出来ることが、
最も貴重なプレゼントだったと言います。
出来れば自分が大病を経験せずとも、
普段の今からアタリマエな生活に
感謝が出来る自分であることが大切なのです。

 

(中略)

 

やはり、この章も教訓に満ちた章でした。
* 最初の気の緩みが怖いということ。
* 人間のサガ(性)を甘く考えては生けないこと。
* 想定力・想像力が大切だということ。

 

このようなことを知っているだけでも、
人生は変わります。
今日も、
アタリマエなことに感謝が出来る自分で居ましょう。
追記

煩悩即菩提(ぼんのう そく ぼだい)について

仏教の教えに

・ 欲望や色情、悩みが有ることも、それはいずれ、

 行くところまで行き着けば、

 菩提心(ぼだいしん:悟りや神仏を求める心)

と変わって行く。

 人は、悩みがあり、愚かな自分が居るからこそ、

  それが燃料となって、

  心からの反省と神仏を求める人に成れる。

愚かな自分や、嫌な人間の自分、どうしようもないスケベで、

アホウな自分という者に気付き、心から反省した人は、

そのパワーの大きさに比例して神仏を求める人

に成れると仏教は指摘しています。

これは、すべてが順調な人ほど、

逆に神仏を否定して離れて行くとも言えます。

この世的な権威や、科学主義、

自身の立場を誇り、傲慢不遜の大きな勘違いの行為・

発言をして行きます。

 まさに政治家ではなく政治屋、

 またはあらゆる職種で自分の立場に胡坐をかく

 自己反省の出来ない人たちには

 圧倒的にこういう人たちが多いいのです。

これは霊的には、死後の反作用があまりにも大きく

とても気の毒な人と言えます。

この世という舞台を、
そもそも神仏が用意してくれていることを、
忘れては生けません。
私達はその舞台に、記憶を消されて事前情報なしに置かれて、
その魂がどのような「振る舞い」をするのか?
これを観察されています。
以上を仏教では、
「煩悩即菩提」(ぼんのう そく ぼだい)と言います。

 ただ、釈尊や親鸞聖人が言われる悪人とは、

 自己を省みることも無く好んで悪を犯し続ける人のことを言います。

 悪魔や魔物に取り憑かれている血も涙もない極悪人のことを言ってます。

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お客様の言葉

阪急メンズ東京店

★k様「ジャケットのシミ綺麗に取れてますね。ありがとうございます」
と、おっしゃつて帰っていかれました。高度な技術ありがとうござい
ました

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