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6/28(金)「無心とはすべてを包み込むこと」

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心が純粋で無心になるためには

* 執着を持たないこと。

* 食事を大切にすること。

この2点の継続が重要なカギに成る。

「無心はすべてを包み込むこと。

無心の人の未来は白紙になり読めない」と

釈尊は断言されています。

 

 

「現代にこそ言える大切なこと」

金銭を集めることに執着をせずに、

自分が食べる食物についてはよく調べて吟味をします。

 

そういう人々が悟り、無心に成れた場合は、

その人の運命は未知なものと成り、

その未来を知ることが出来ません。

それはまるで、大空を飛ぶ鳥の軌跡が見えないようにです。

 

(原始仏典 ダンマパダ7章-92番)

 

(感想)

金銭というものは、欲しい時には集まらない「生き物」です。

釈尊は、財産を持つな、金を儲けるな、とは仰っていません。

これを誤解してはいけません。

集金団体が、「釈尊が財産を持つなと仰っている」

という逆の解説をして、

一般人から金銭を集めることに執着をします。

これこそが大罪です。

 

釈尊の本意は、金が有ろうが無かろうが、

そのことに「執着をするな」と言うことです。

金の有無に左右されるなと言うことです。

大金持ちでも金銭に執着が無ければ、

それは素晴らしいことであり、

財産を保持したままでも因果を受けません。

お金が無くても、それで自分の心を傷めなければ、

心が豊かな人物に成ることが可能です。

 

(中略)

 

そして珍しいことに、

釈尊が自分の食事については良く調べて、

自分なりの最善を尽くしなさいと指摘しています。

考えて見ますと、禅宗などは食事を作ること、

正しく物を食べることが、重要な修行の要素に入っています。

禅宗では作務(さむ)という、

農作業や清掃などの日常作業を修業として行いますが、

その中でも食事を作る事、

また食事を頂くことが重要な「動の瞑想」に成っています。

道元禅師も「典座教訓」

(典座“てんぞ”とは禅寺において食を司る重要な役職)

という本を著して食を重要視しておられます。

私も食べ物の記事やコメントをよく書いてますが、

霊的な要素としても欠かせないからです。

 

無心に成れるためには、

* 執着を持たないこと。

* 食事を大切にすること。

この2点の継続が

重要なカギに成ることを覚えて置いてください。

 

次に釈尊が、「無心に成れた人ほど、

その人の未来は白紙になり読めません」と断言されています。

 

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