どんなに思うとおりにならないことが
起きて、人生の中で「完敗」したのは「煩悩」であり
自分の嫌な見栄や自惚れが「負けた」と嘆くのです。
しかし、本当の自分からの視点は大満足、大成功。
まさに、自分の煩悩の「完敗」は、煩悩から仏さま
へと受け持ちが変わる大変有難い、「乾杯」すべき
ことなのです。
「完敗が乾杯なのです」
人生では、自分は「負けた」「負けだ」、
「自分は勝者だ」と思うことが有るかも知れません。
でも、その「負けた」と思うのは、
いったい誰なのでしょうか?
それは、自分の煩悩(ワレヨシの思い、
自分の見栄、外見を気にする自分の心)が
「負けた」と吐いているのです。
負けたのは自分の煩悩であり、
自分の嫌な面が「負けた」と漏らすのです。
はたして、これは失敗なのでしょうか?
ダメなことなのでしょうか?
本当の自分(真我・仏性)からの視点では、
それは大成功なのです。
まさに、自分(煩悩)の「完敗」は、
祝すべき大成功であり、「乾杯」すべきことです。
(中略)
人の煩悩が負けること、
「嫌な」煩悩に気づき、嫌なクセが昇華されることが悟りです。
煩悩に気づけば、自分に内在する一つ成る存在の
「海」が自分の主となって生きていけます。
本当に海なのです。
コノ世に生きながらにして、
心は絶対安心な「大慈悲心の海(弥陀の本願海)」に浸かりながら
暮らすことが誰でも可能なのです。
神道の「愛情の海」は天照太御神でもあります。
日本神道は、これを見抜いていました。
まさにオレンジ色の太陽の慈悲心の海に浸かりながら、
コノ世の喜怒哀楽を楽しみ、
今、ここの現実世界を
静観して生きることが可能なのです。