水一滴の滴り(したたり・努力)も、
それが「継続」すれば水瓶をあふれさせます。
更にあふれた水は、止まらない水の流れを産み出します。
流れが生じれば、あとは自分は因果の法則により、
たんたんと継続した生活をしているだけで、
すべての景色が変わって行くのです。
大きなことは不要。先ずは一滴から。 2014-04-19 10:29:31
釈尊の言葉というものは、
決して上辺のキレイ事では無いのです。
人間の汚いサガ(性)、どうしようもない欲望、
人の死、を正視した上で出ている言葉です。
そこには、組織・教団を創るとか、金を稼ぐとか、
名誉を得るとか、何かを伝授する、
そのような思いも、囲いも一切ありません。
常に「今日、死ぬかもしれない」という「最後」の思いの上で、
人間への愛情を残すために遺言の気持ちを言葉に出されていました。
当時のインドでも、紛争、殺人、犯罪、社会の理不尽、
極端な貧富差、飢餓、の中を人々は生きていました。
私の思い出に残る釈尊の言葉を書いて置きます。
(1) 「自分はダメな人間だ」「わたしは愚かである」
「自分は本当にアホだ」
と認識できる者こそ、本当の賢者に成れる可能性があります。
でも、そう思うだけで終わり、
改善への「行為」と「努力」が無い人間は、
本当に愚か者のままなのです。
自分の愚かさを認識して、
自分なりの改善への努力をした者は、
コノ世での「結果」は関係なく救われるのが因果の法則です。
自分の真我(しんが:本当の自分。内在神。心の良心)が、
そのすべての自分の努力と行為をよく見て知っており、
最後に自分を許してくれるのです。
人間は、「本当の自分に許されること」が、
コノ世に生まれて来る目的であり、
生きる意味なのです。
本当の自分に許される人間が、
古来から果たして何人いるのでしょうか?
これを悟りと言います。
でも、「本当の自分に許されることを、
人生の目的として歩き出すこと」が出来れば、
その人は救われることは間違いが無いのです。
これは絶対のことです。
(2) 人間とは、
「自分はこういう人間だ」「こういう人間でありたい」
と思う存在に、誰もが霊的には既に成っているのです。
コノ世での結果は関係ないのです。
だから良いココロザシ・志が、
人間には絶対に必要なのです。
良心(真我)に叶うココロザシを持ちましょう。
志を持つだけでも、
意味を成し始めます。
(3) でも人間とは、
「そんな努力をしても、自分には良い結果は来ないだろう」と思うものです。
何度も経験する裏切り、期待外れ、変化の無さ、
がそのように自分に思わせます。
しかし、自分なりの善行と志を持ち、
「努力すること」を軽く見てはいけないのです。
水一滴の滴(したた)りも、それが「継続」すれば水瓶をあふれさせます。
更にあふれた水は、止まらない水の流れを産み出します。
流れが生じれば、あとは自分は因果の法則により、
たんたんと継続した生活をしているだけで、すべての景色が変わって行くのです。
気付いた時には、以前の自分とは生活も中身も違う人と成っています。
これは、最初の一滴を落とした自分の努力の御蔭なのです。
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お客様の声
全国宅配
●大切な服が新品同様になって帰っ
てきました。思い出のある服は汚れ
を気にして沢山着られないなと思っ
ていましたが、ウォータークリーニ
ングさんがいらっしゃる限り、沢山
着ても大丈夫だと思えるようになり
ました!ありがとうございました。
伊勢丹新宿店メンズ館
●トレーナー、パンツ、ダウンジャ
ンバーの汚れがよく落ちていると、
外商の方が喜んでおられました。