私のいのちを照らし、あたためて下さる
いのちのはたらきを光と仰げば、地球、
宇宙を超えた広大無辺の世界の無数の光
「無量光」に、私は生かされ、支えられ
奇跡的に生きているのです。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-62番)
家族も肉体も財産も、「自分が預かっているだけ」
という思考は、すべての苦悩を切断して行き、
今の自分に最善を尽くさせてくれる。
『無量光』今、ここに私がいるのは光といのちのきわみない世界の中で、
数限りないいのちに照らされて、支えられて生きている。
「私には家族がいる。私には財産がある」
と思い込んで、
人はそれに関して色々なことに悩みます。
しかし、
本当は自分の肉体でさえも
自分の所有物ではありません。
更には家族も自分の所有物ではありません。
ましてや消えて行く財産などが
自分のものであるはずは無いのです。
(原始仏典 ダンマパダ第5章-62番)
(感想)
自分がするべきことは「した」上で、
それへの執着を持たなければ、
その人は真の意味で
コノ世の勝利者なのです。
貧富の差も関係ありません。
魔物からの誘惑に負けなかった
数少ない人と成れます。
与える一方の人に成れるのです。
アノ世でも、
与える一方の人々ばかりが居る世界へと
引かれることに成ります。
だから、
家族も肉体も財産も、
「自分が預かっているだけ」という思考に
自分が切り替えることが出来ますと、
明るい日差しを浴び始めます。
霊的な視点から観ましても、
「自分は今預かっているだけ」という思考は、
すべての苦悩を切断して行き、
今の自分に最善を尽くさせてくれます。
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