「足るを知る者は、現状の中で心豊かに生きることができる」
釈尊の言葉に以下のような内容が有ります。
{ 壊れた鐘(かね:音を出す楽器)は、
「叩かれても」響きません。嫌な音も出しません。
これが人の場合は、
自らが荒れた言葉を出したり、
他人の嫌な言葉に影響されたり、
自分の怒りで震えなければ、
自分の心身は何の影響も受けません。
その心は、平安なままが続きます。}
(原始仏典 ダンマパダ 134番)
他人の「嫌な」言葉に影響される人は、
まるで敏感で繊細な鐘のように、
よく影響を受けて心に響かせています。
これを壊れやすい「ガラスのような心」
と言う場合も有るでしょう。
近年の人間には、「おおらかさ」が消えて、
まるで打てば、いつまでも鳴り響く鐘の
ように成っている人を見掛けます。
いつまでも鳴り響く心は、
本人の心身に良くありません。
家族からの一言にも、数十年が経った今でも、
自分で思い出してビンビンに鳴り響くことが
出来る人が居るものです。
これも、自らの執着心の大きさを意味しています。
嫌なことを流すことが出来ないサガは、
自らの心身に良くないのです。
嫌な思いを溜め込みますと、
それは体内で●●という「カタマリ」に化けやすいです。
その●●というカタマリを、
現代社会では手術で取ることを繰り返します。
でも、「嫌な臭いは元から絶たなきゃダメ」
の言葉のように、
・ 他人からの嫌な言葉は、意地でも心身か
流して行きましょう。
だから、もし嫌なことが自分に有っても、
・ 自分の心には響かせないぞ、という誓い。
・「まっいいか」「自分は自分、人は人」
でサラッと流していきましょう。
これを、これから更に意識して欲しく思います。
「釈尊の言葉 ダンマパダ編より転載」
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