「喜びも悲しみもみんなにぴったし、
全てよし 全てありがたし」
釈尊の言葉に、
人間が持つ根絶が難しい
3つの毒の「気持ち」への指摘が
有ります。
「比丘たちよ、これら三つの不善
の根がある。いかなる三か。
貪の不善根、瞋の不善根、痴の不
善根である。」
意味は、
・ 修行者たちよ、人間には3つ
の悪い心の根っ子がある。
・ それは、いかなる悪い心の根
なのか?
・ 貪欲にむさぼり求める心。
・ 怒りの心のこと。「いかり」・
「にくしみ」などを指す。
・ 愚痴(ぐち)を思う心のこと。
これは自分の無知、愚かさから
来る。
この3つの毒気(どくけ)に注意を
釈尊は言われました。
仏典のこの内容を読んで悩まれたのが
親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。
比叡山でも修行して、一生懸命に先輩
僧に言われたことを頑張りましたが、
自分からこの3つの毒気が抜けること
が、まったく無いことに悩まれたのです。
女性を見れば性欲が湧き起こるし、
先輩から怒られれば愚痴がこぼれるし、
さぼる同僚には怒りが湧きます。
これに悩みながら、何年も変わらない
自分自身にはたと気付かれます。
「あれっ!? 私から、この3つの毒気
というものが消え去るのは、そもそも無理
なんじゃねえ?」はうあっ!
そして、そうなのか。
無理なのか。と親鸞さんが深く自覚され
た時に気づかれたことが、
・ 私は、三毒を消すことも出来ない
頭が禿げた、愚かな僧であることを
忘れないでいよう。
・ 私という「おろかなハゲ」は、自分
が三毒を抱えながら生きている者だ
から、他人よりも余計に自分の三毒
を出さないように注意して生活をし
よう。
・ 自分に三毒が有ると自覚して意識し
ている分は、他人に三毒で迷惑を掛
けることを減らせるかも知れない。
このように考え方を親鸞さんは変え
られました。
すると、「自分には三毒など無い」
「三毒って、何?」という人々の生き方
とは、
・ 三毒への注意の意識そのものが無い
ために、まったくそう悪いクセが自分に
はあるという自覚がまったく無いために、
他人に無意識に三毒をばら撒いているの
です。人の悪いクセはよく分かっても
自分の姿は自分を客観視できる仏法に
出合わない限り難しいのです。
これが継続しますと、
・ 三毒への自覚の有る、「おろかなハゲ」
だと謙虚に自分を省みて生きる僧侶。
・ 自分は高位の僧侶だと思い、三毒など
気にもしない立派な衣装を着た僧侶。
それぞれの生き方の継続の結果は、その
個人の因果の深さに天地の差が出ます。
やはり、自分の悪い点を自覚している人ほ
ど、悪い因果を増やすことが少ないのです。
自分の三毒を自覚しないどころか、それが
自分に有ることを認めもしない人の、その
死後の行き先は怖いものなのです。
災害も、危険要素を事前に知るからこそ、
防御も対策も可能です。
個人も、自分の悪い点を素直に認める人は、
改善がしやすいです。
何かのヒントに成れば幸いです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・