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5/14(火)「喜びも悲しみもみんなにぴったし、全てよし 全てありがたし」

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「喜びも悲しみもみんなにぴったし、

全てよし 全てありがたし」

釈尊の言葉に、

人間が持つ根絶が難しい

3つの毒の「気持ち」への指摘が

有ります。

「比丘たちよ、これら三つの不善

の根がある。いかなる三か。

貪の不善根、瞋の不善根、痴の不

善根である。」

意味は、
・ 修行者たちよ、人間には3つ

  の悪い心の根っ子がある。

・ それは、いかなる悪い心の根

  なのか?

・ 貪欲にむさぼり求める心。

・ 怒りの心のこと。「いかり」・

 「にくしみ」などを指す。

・ 愚痴(ぐち)を思う心のこと。

  これは自分の無知、愚かさから

  来る。

この3つの毒気(どくけ)に注意を

釈尊は言われました。

仏典のこの内容を読んで悩まれたの

親鸞聖人(しんらんしょうにん)です。

比叡山でも修行して、一生懸命に先輩

僧に言われたことを頑張りましたが、

自分からこの3つの毒気が抜けること

が、まったく無いことに悩まれたのです。

女性を見れば性欲が湧き起こるし、

先輩から怒られれば愚痴がこぼれるし、

さぼる同僚には怒りが湧きます。

これに悩みながら、何年も変わらない

自分自身にはたと気付かれます。


「あれっ!? 私から、この3つの毒気

というものが消え去るのは、そもそも無理

なんじゃねえ?」はうあっ!

 

そして、そうなのか。

無理なのか。と親鸞さんが深く自覚され

た時に気づかれたことが、

 

・ 私は、三毒を消すことも出来ない

  頭が禿げた、愚かな僧であることを

  忘れないでいよう。

 

・ 私という「おろかなハゲ」は、自分

  が三毒を抱えながら生きている者だ

  から、他人よりも余計に自分の三毒

  を出さないように注意して生活をし

  よう。

 

・ 自分に三毒が有ると自覚して意識し

  ている分は、他人に三毒で迷惑を掛

  けることを減らせるかも知れない。

  このように考え方を親鸞さんは変え

  られました。

 

すると、「自分には三毒など無い」

「三毒って、何?」という人々の生き方

とは、

 

・ 三毒への注意の意識そのものが無い

ために、まったくそう悪いクセが自分に

はあるという自覚がまったく無いために、

他人に無意識に三毒をばら撒いているの

です。人の悪いクセはよく分かっても

自分の姿は自分を客観視できる仏法に

出合わない限り難しいのです。

 


これが継続しますと、

・ 三毒への自覚の有る、「おろかなハゲ」

  だと謙虚に自分を省みて生きる僧侶。


・ 自分は高位の僧侶だと思い、三毒など

  気にもしない立派な衣装を着た僧侶。

 

それぞれの生き方の継続の結果は、その

個人の因果の深さに天地の差が出ます。

 

やはり、自分の悪い点を自覚している人ほ

ど、悪い因果を増やすことが少ないのです。

 

自分の三毒を自覚しないどころか、それが

自分に有ることを認めもしない人の、その

死後の行き先は怖いものなのです。

 

災害も、危険要素を事前に知るからこそ、

防御も対策も可能です。

個人も、自分の悪い点を素直に認める人は、

改善がしやすいです。

何かのヒントに成れば幸いです。

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