「経験こそ真の財産と成る」
昨日は嫌なことが起こっても、
今世か前世の因果の昇華のために
起こっていることを伝えておき
ました。
だから私は、嫌なことがあると、
「ああ、有難い」と心底思います。
それは、自分が感謝の信仰を行い、
良心に沿った生活をする上で訪れて
来る不幸には、必ず意味がある
からです。
ですから、もし自分に嫌なことが
怒っても、「代わりに病気になら
ないですむ」「大難が小難になった」
などと思うことです、
そうすると、後になって過分な幸運を
受け取ることが、今までの人生で幾度
もあのました。
つまり、嫌なことは幸運を受け取る
ために外せない大切なプロセスだった
ということが、後から考えるとよく
分かるものです。
人間は、無駄や損なことを
嫌がるものです。
しかし、いくら注意したとしても、
善悪を含めて偶然なんて何一つ
ありません。必ず未来を改善させ
るために起こってくれる物事なのです。
実際に起こる悪い現象とは、
知らずに行っていた悪いことへの
反作用であったり、さらには
キリストではありませんが、
周りの人たちの身代わりで自分
が受ける代償弁弁済であったり、
自分のただの努力不足であった
りします。
ここで大切なことは、
この世は努力や成長や調和
を試されている場所でもある
ということです、
この不自由な娑婆世界に
わだわざ生まれてきたのは、
「自我という各人が持つハンディ」
を背負いながら、
一、どれだけ向上しようと挑戦
したのか?
二、いかに情熱を発露させたのか?
三、他人への思いやりを実行でき
たのか?
四、自分の中に仏さまが宿って下さ
っていることを自覚認識しながら
どれだけ報恩感謝の人生を生きれた
のか?
を、自分自身が試すために生まれて
きたのです。
人生の目的は、自我を薄めて、
阿弥陀さまの存在に気づき目覚める
ことができるのか、ということなのです。
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