「己の胸の奥が感動するような、
喜ぶような生き方をする」
昔から広島の浄土真宗安芸門徒は、
南無阿弥陀仏のはたらきを、南無の二文
字は「我に任せよ」。阿弥陀の三字は
「おまえを必ず救う」。仏の一字は「親
じゃもの」と言っては、阿弥陀さまとい
う仏さまの御慈悲の有難さをとても喜ん
でいきました。
人間が、なぜ生まれて来るのか?
何のために生きるのか?
古来から問われ続けているテーマですが、
答えは突き詰めると一つです。それは、
自分の心に来て宿って下さっている
阿弥陀さまに気づくためなのです。
仏さまはすべての生物に宿りますが、
阿弥陀さまは曠劫より迷いの生死流転を
繰り返してる人間を「救う」ために人間
のところに来て宿って下さっているの
です。
自由に動き回り、喜び楽しみ悲しみ悩み
物事を創造(想像したり、罪さえも犯せる
自由とは、ある意味尊く、ある意味とても
恐ろしいことです。これをアタリマエだ
として、誰も満足も認識もしていません。
私たちは、自分の心に阿弥陀さまが来て
はたらいて下さっていることに気づける
まで、生まれ変わりを繰り返し、喜怒哀楽
を繰り返してきました。
自分の心に来て宿って下さっている阿弥
陀さまに深く気づけた人間は、「ご信心」
を得て、この地球上での生まれ変わりの
サイクルを卒業して、仏と成っていきます。
そして、自らこの地球に還ってきて人を
救済るための菩薩としてはたらいていき
ます。
この地球は、六道と言って地獄・餓鬼・
畜生・修羅・人間・天上までの様相が同時
に共存するという稀な状態です。
綺麗ごともあれば、以上に汚い悪事、殺人
膀胱も行われている現実があります。
この環境の中でも。周りの刺激に惑わさ
れずな、自分の心に来てはたらいて下さ
っている阿弥陀さまへと自分の気持を向
けて感謝することがとても大切であり、
それこさが人がこの世に生まれて来る
目的なのです。
生きていれば煩悩の有る人間は悩みや
不満も出てきます。でも、その中でも
自分の心の阿弥陀さまを見つめるので
す。「なんまんだぶつ、なんまんだぶ
つ」と仏の名を呼んで、阿弥陀さまが
一緒にいて下さることを心の支えに
して「強く明るく生かされて生きてい
く」のです。
だから何があっても「なんまんだぶつ、
なんまんだぶつ」と仏の名を呼んで、
心の中の阿弥陀さまに感謝しながら
物事を見つめれば大丈夫です。
他人に対しても、その人の心の中の
阿弥陀さまに向かって、「生かして
いただいて ありがとうございます」と
思ひながら相対することです。
すでに私を仏にするために自分の
心に来て宿って下さっている阿弥陀さま
に早く気づき、目覚め「ご信心」を賜り
ましょう。
そして阿弥陀さまに「救われている」
ことを意識して報恩感謝で生活する
人間が増えたとき、地球上の諸問題は
ことごとくなくなっていくでしょう。
政治でもない、経済でもない、教育で
もない、道徳でもない・・。ご信心を
得た人たちが「有難いね」と阿弥陀さ
まに生かされていきているお互いを
拝みあって御恩報謝で生きていく。
そのとき、私たちの胸の内側は熱く
なり、とても感動し喜んでいること
でしょう。阿弥陀さまが私と共に
感動し喜んで下さっているのです。
これしか、もはやこの地球を救う道は
ないということをよくよく自覚してお
きましょう。
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お客様の声
新宿伊勢丹メンズ館
●ドレスシャツの2か所のシミが
すっかり取れて、素晴らしい仕上がりですと
喜ばれていました。
(30代 男性)
●黒のワンピースドレスの受け取りで、
キレイになって、生地もやわらかくなっており
喜んでいらっしゃいました。
(女性)
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