「明日死ぬと本気で考えると、
日常生活の惰性と慣れに気づく」
「阿弥陀さまに救われたことへ
まったく疑い晴れた」と、
ご信心を獲得したからといっても、
この娑婆の苦の世界を生きている以上、
悩みや気になることは成長の為に次々
に現れてきます。
気にしないようにしたくても、気に
なってしまうし、病気になって痛い
手術を受けないといけないし、やっ
ぱり死にたくはないし・・、そんな
ことは気にせず、生きていくために
は・・・。
答えは簡単です。「明日、死ぬかも
しれない」と本気で思えばいいのです。
そうすれば、死を目の前にすれば、
つまらない悩みやこだわりは消え去り、
今すべきことを探し出します。
特に、仏法をいつも聴聞していれば
そうなります。
生きている間、僕たちの心の成長の足
を引っ張る存在があります。それは、
日常生活での「惰性」と「慣れ」です。
すべては
「当たり前」「あって当然」と錯覚
させ、阿弥陀様(良心・仏性)が消えた
状態、感謝が消えた状態が「惰性」
と「慣れ」の働きです。
これを打ち破るには、日々の生活の
中で「明日死ぬかもしれない」とい
う生死の原点に緊張感を持って戻る
ことなのです。
生死を意識して生きている人は、
感謝と芯の強さがあります。
私たちが忘れている、生命の息吹
を思い出させてくれます。これは、
日常生活や社会生活での細かい悩
みを吹き飛ばします。
とはいえ、嫌なことは嫌、辛いこ
とは辛い、痛いことは痛い、もの
です。
ただ、そこに居直るのではなく、
そのような足を引っ張るネガテ
ィブな引力には、ポジティブな引
力を持って向き合うしかないので
す。
ポジティブな引力は日々の感謝
と救われた喜びを阿弥陀さまや
ご先祖さんたちに捧げる仏参
(仏壇にお参りする)や仏壇の
お華や水を変えたり、お仏飯を
お供えするという荘厳の具体
的に行為によって発生し
ます。
こういった行為、所作は自らの
心の襟元を正して「惰性」や
「慣れ」から解放させてくれ
ます。
「明日死ぬかもしれない」
生死の原点を決して忘れてはい
けませんね。
日々、会社では晨朝勤行・日没
勤行のお経のお勤めとご法話を
必ず行っています。
仏教では「仏さまのお育てに
遇う」仏縁を、率先して作って
いかなければ「空しく過ぐる」人、
人生はあっという間に終わってし
まいます。
心したいものです。
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お客様の声
伊勢丹新宿店メンズ館
●ネクタイのシミがわからなくなっ
たとお喜びいただきました。
(30代 男性)
阪急メンズ東京
★本日、顧客の方がお支払いにご来
店されました。ウォータークリーニ
ングを大変信頼され、「クリーニン
グはここしかありませんね。」と仰
っていました。今回承りのチャコー
ルグレーのスーツ(エグゼクティブ
コース)をよろしくお願いします。