真に徳を備えた人の生活とは、
ひたすらに「道」
(自然な流れ。生活の中の真理.大宇宙の法則)に
従うだけです。
生活の中の自然な流れとは、
ただぼんやりとして目には見えません。
ただ、ぼんやりとして目に見えなくても、
「生活の流れ」の中には
何かが存在しています。
ぼんやりとして目に見えなくても、
「生活の流れ」の中には確かに
形があるのです。
それは奥深くて見えないモノなのですが、
精気を宿しています。
その精気が存在することは本当に真実であり、
それは何よりも信頼できるモノなのです。
その精気は、
はるか太古から今に至るまで実在しています。
この精気のお蔭により、すべての社会は生まれ、
そしてまとまっているのです。
どうして社会が精気のお蔭で成り立っているのかを
私が知っているのかと言いますと、
流れ(道)を観察しているからわかるのです。
この章では、
老子が非常に重要なことを説明しています。
「神・仏様というものは本当に存在するのか?
それは目に見えるのか?」とよく言われます。
これは昔も今も社会で問われていることです。
この問いに老子は、
「古来より継続する社会を見なさい。
歴史を調べなさい。本当に謙虚な視線で、
白紙の気持ちで、その流れを見なさい」
と言っています。
そうしますと、
その「流れ」の中に
「何事がおわしますかはわからないが」、
大いなる意志=精気が実在すると
考えるほうが科学的だと
言っているのです。
数学的にも
偶然が「継続する」確率を考えますと、
見えない精気=意志が実在すると考えるほうが
賢明なのです。
私たちの人生や生活におきましても、
その「流れ」を見ることが重要なのです。
もし自分が迷った時は、
⑴自分ができる努力をしながら、
⑵過去から今までの、その流れを見てみること。
⑶今の流れを静観して見ること。
このようにしますと、
知恵や何かが見えだすのです。
もし自分が、
流れの中に没入していますと、
何も見えずに不安なままあわててしまいます。
このような大きな視点で流れを見る習慣を
身に付けるだけでも、その人の人生は改善します。
物事の真実というものは、
その中に入ってしまいますと、
逆に見えなくなってしまうことが多いのです。
もし外部から全体を眺め見ることができますと、
進むべき方向がわかります。
だから例えば、
親の言うことには、一理はあるのです。
子どもは物事の最中にいる限りは、
自身のことが見えなくて
わからないことが多いのです。
会社でも中にいますと、
自社の冷静な評価をすることができません。
他社を知らないからです。
自分の霊体(魂)も肉体の中にいる間は、
その姿を見たり自覚したりすることができません。
さらに逆に言いますと、
自分の心にいる
大いなる存在
(精気・神気・仏性・良心・内在神)に気づくためには、
人生での苦労や悩み、理想とは相反する
自我(ワレヨシ)も必要なのです。
大いなる存在=精気=内在神(良心)の中にいる間は、
その有り難さに気づけないので、
私たちは時間限定でコノ世に
生まれ出るという意味もあるのです。
そして心が成長して、
また母なる大いなる
精気の中に戻っていくのです。
全員が同じ大いなる、
たった一つの
「精気の中」に戻っていくのですが、
今生での自分の気持ちによって、
戻る部屋が多少違うだけです。
大いなる精気の母の中に、
全員が戻るのは間違いはありません。
物事の流れを観察しながら、
思いっきり精一杯に生きてみましょう。
誰もが時間限定ですから、
何も問題はありません。
「柔訳 老子の言葉」より
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お客様の声
君津本店
●東京からご来店のM様、必ず、衣
替えの時にどっさりお持ち込みと、
お持ち帰りいただいています。その
時、必ずハンガーも一緒に、「これ
も・・」とお持ちいただき、いつも
ありがとうございます。
(50代 男性)
伊勢丹新宿店メンズ館
●心配していたカジュアルシャツの
シミが取れてよかったですとお喜び
でした。(20代 男性)
阪急メンズ東京
●他店でシミ抜きをしたけれど取れ
なかったとお持ちになられました。
よろしくお願いします。