意志という光が、形を持つ。
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人間の本当の生き方の道(愛情・思いやり・真理)が
なくなりつつあるからこそ、
逆に道徳や礼節というものが人間に必要とされるのです。
法律や細かい規則が増えるほどに、
逆にそれを上回る犯罪やウソが増えるのです。
人間は家族や親戚・近所の人々と仲良くできないからこそ、
逆に親孝行や親睦をせよと声高に叫ばれるのです。
国家が乱れて不安定になるほどに、
逆に国に尽くすことがホメられるようにもなります。
老子が、独特な逆説的な表現をすることによって、
本来の正しい姿を説明しようとされています。
だからこの文章を逆に言い換えますと、
⑴すべての人間が自然と道徳や礼節を自ら守って生きていれば、
それを社会で叫ばれることがありません。
道徳や礼節の必要性が社会で叫ばれること自体が、
それは乱れた社会だということです。
ただ、まだ白紙の子どもには、
道徳や礼節をしっかり教えることは必要なのです。
⑵法律が厳しい国家ほど、
それは犯罪が多い国である証拠です。
正しく安定した国ほど、
逆に法律はなくなっていくでしょう。
⑶親孝行や他者との親睦を努力していれば、
みんなと仲良くいられます。
⑷みんなが自然と国のために尽くせば、
国家は安定します。
忠臣という概念すら出てきません。
以上のように考えますと、
社会において平和が議論されるほど、
本当は平和ではない。
戦争について議論がされているうちは、
まだ平和なのだ。
男女平等という声が上がる間は、
まだ平等ではない。
裕福さを他人に誇る間は、
その人の心が寂しく貧乏なのだ。
自分は悟ったと自称する人間ほど、
まだ悟ってはいない。
このように社会や個人が表に発信する・現れる内容とは、
実は逆であるのが真相だということです。
近年に多い会社や学校でのイジメ問題にしましても、
イジメている張本人が家庭やよそでイジメられている、
または不幸を背負っていることが多いのです。
私の学生時代を思い出しましても、
自分の家庭や環境の不満を他者や社会に
ブツケている人間が多かったように思います。
だからもし、会社や学校で自分がイジメられましても、
そのような罪を犯す人間こそが不幸で弱い人間だと思い、
恐れることはありません。
弱者をイジメる人間の晩年とは、
あとに行くほど不幸になるものなのです。
自分がしたことは自分に帰るという法則が、
冷徹に必ず反射していきます。
もしも自分が悪いことをして、
「運悪く」今生で自分に悪い反射が帰らなければ、
その悪い反射は死後に巨大化して
自分に帰ると私は思っています。
コノ世のすべては完全であり、真に平等なのです。
老子は社会の中で生きるために、
声高にストレートに言ってはいけないことは、
短く逆説的な表現をされたようです。
このような柔軟な思考と思いつめない明るさは、
今の社会に生きる人間にも大切なことです。
この章は、自分自身がどんな物事に反応し、
そして執着を持つのかを見なさいということでもあります。
そこには「逆」が存在するということです。
その逆を満たせば、何事も無難に収まることでしょう。
「柔訳 老子の言葉」
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お客様の声
君津本店
●「また今年もお願いします。」と
常連の保管ご利用のお客様から、第
一弾としてお預かりしました。
(40代 女性)
伊勢丹新宿店メンズ館
★綿コートのカビで色抜けした部分
が、すごくきれいに仕上がっている
と喜ばれていました。
阪急メンズ東京
昨日、本日共に天候もよく、午前中
からクリーニングの承りやお引き取
りでご来店の方がいらっしゃいまし
た。今回キャンセルされた方も2名
でご来店され、今回はキャンセルに
なりましたが、また機会があればお
持ち下さるお話もありました。