人間の心(人生の道でもある)とは、
まるで空の容器でもあるかのように、
何の力も無いように人は思っています。
しかし、心の大きさと働きは、
何をいくら注ぎ込んでも一杯にならないほど
広大無辺であり、無限の力を持つものなのです。
人の心の深さとは、底(限界)が見えない
淵のように奥深くて、
万物を生み出す大もとが人の心に存在するようです。
人の心(道)は、万物の鋭さを丸く収めることができます。
つまり、刺々しい人間関係や国家間の刃物(武器)の先端をも、
人の心は丸くすることが可能なのです。
心は、物事のもつれや誤解を解きほぐし、
強い怒りの光をも和らげることができます。
そして、コノ世の人の汚い部分や悲しみにも、
人の心は同情して他人と共有することができます。
本来の人の心(道)とは、
深々とたたえた水のように静まりかえり、
心中に何かが存在しているようです。
私は、この人間の心(道)が、
いったい何者の子どもなのかを知りませんが、
どうやら万物を生み出した
天帝のさらに上の存在が人間の心の親であるらしいです。
この文章には驚きました。
学者ならば、文中の最初の「道」の解釈でつまずき、
第四章の老子の真意が
サッパリわからないのではないかと思います。
しかし私には、これほど自身に響く言葉はありません。
老子こそが、人の心に存在する
良心(内在神)の正体を知っていたということです。
しかも、大いなる存在(神)を生み出した親が、
実は人の心に住んでいるというのです。
"灯台下暗し"だったのです。
だから心の外側に神を探してもいないのは、
当然のことなのです。
人間は何をしてきたのでしょうか。
さらには、創造神をも生み出した、
名も無き「親神」が人の心に住んで
遊んでいると老子は言うのです。
宇宙の大きさに終わりはあるのか?
広がる宇宙の果ての境界は、どうなっているの?
と、誰もが一度は考えるものです。
老子は、人間の心も宇宙と同様に広大で無限であり、
しかも何でも生み出す
「何かが」存在すると示唆しています。
人間の心は、宇宙と同じなのです。
自分の心の大きさ、心の果ての境界を
人間は考えたことがあるでしょうか?
全字宙が自分の心に存在していたことを
人間が真から知りますと、
もうどこにも行く必要もあわてることもないのです。
ただ、コノ世を泳ぎながら楽しめばよいのです。
この文章で老子は、現代人への貴重な予言を残してもいます。
国家間の争いや戦争を丸く収めることができるのは、
人間の心「だけ」だと言っているのです。
でも、心を持ちだして、
どうやって紛争を止めるのでしょうか?
老子は、「人の心が持つ力を知れ」と言うのです。
「お前たちは、人の心の何を知っているというのか?」
とも示唆しています。
相手にも思いやりの心を人間が持てば、
そこに必ず「知恵」が浮かぶのです。
老子は、人の心は武器をも丸めて無効にすると言いますから、
これを素直に子どものように信じることも大切です。
知恵が浮かぶまで心を安静にしたまま、
このまま静観することが大切なのです。
このまま百年も過ぎ去れば、
今の出来事も思い出(歴史)に変わっています。
その時に未来の人は、笑っていることでしょう。
「柔訳 老子の言葉」
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