これが正しい人生(道)だと
言い表せるような人生(道)は、
本当に正しい偉大な人生(道)
などではありません。
これが本当の「名前」だと
呼べるような名前は、
真実の名前ではありません。
天地が創られた時には
名前などは存在せず、
万物が生み出されたあとに
それらは勝手に名づけられたのです。
だから無欲な心をもって見れば、
"名前に左右されない"物事の
本当の姿を人は見ることができるでしょう。
欲望の心のままでは、
人は物事の上辺の姿しか
見ることができません。
名前(人の地位)に左右されてしまいます。
コノ世は、すべてが一つの
同じ根源存在から創られたのに、
陰と陽という二つの別々の
名前を持っています。
その一つなる根源存在を
「深遠なる神秘」と私は名づけましたが、
その深遠なる神秘(玄)も
やはりコノ世のすべてを生み出す、
さらに奥の神秘から生み出されています。
これが、コノ世の万物が生まれ出る
門(仕組み)なのです。
どんな人間の人生も"意味があり"、
それぞれ非常に大切な人生だということです。
コノ世で偉い人物の人生「だけ」が
正しいわけではなく、
どんな人生でも二度とない大切で
かけがえのない人生なのです。
人は、自分の人生は
失敗だったとよく言います。
でも、人を生み出した存在(親)からすれば、
我が子たち(人間)がコノ世で
色んな経験をして七転八倒していても、
それが輝いて美しく見えるのです。
例えば親は、自分の子どもが
学校で悪い点数を取ってくれば
将来を心配して怒りますが、
祖父母は孫が取る点数よりも何よりも、
孫が存在するだけでもう十分なのです。
これと同じように、
生み出した根源存在からすれば、
どんな人間の人生も素晴らしいのです。
人間が他人を見ている時は、
その人物を見ているのか、
その人の名前(肩書)や
外見(服や持ち物など)を見ているのか、
どちらなのでしょうか?
知人によく似た人物が、
名前を偽り同じ身なりをして
成りすましますと、
多くの人々はダマされます。
知人の心・性質までは知らないから
外見だけでダマされます。
しかし、ダマされた人は、
普段から知人の心を
見ようとしていたのでしょうか?
私たちは日常生活において、
他人の外観(ネームバリュー)だけを
見ようとはせずに、
相手の気持ち・本質を
見る視点を持つことが大切なのです。
自分の家族にも、家族の気持ちを
「見ようとする心」を
自分が持つことが大切です。
最後の句では、非常に大きな内容を
老子は言っています。
おそらく現代物理学においても
言える内容だと思います。
この宇宙の始まりと実相を
言語表現しようとすれば、
言葉の限界があります。
しかし、老子の深遠性は、
これを的確に表現していると感じます。
要約しますと、
「宇宙は、一つなのに、
二つの名前(陰陽の側面)を持っている。
しかし、その唯一の一つは、
二つから生まれているのだ」。
一=二という「循環」から
万物が発生していることを
老子は示唆していると私は解釈します。
別の表現にしますと、
男女二名から子どもが生まれます。
夫婦では一組ですが、人間では二名です。
また、宇宙から地球を見ますと
一つの天体です。
しかし、地上から見ますと、
多くの国々や七十億人の人類が存在しています。一=七十億。
つまり名前という視点を変えれば、
同じ一つのモノであっても
コロコロと姿も数量も変化するのです。
このようなことが、
世の中には色んなところで
色んな意味で存在するのです。
だから老子は、
「名前というものにダマされずに、
その本質を見ましょう」
と言っているように聞こえます。
「柔訳 老子の言葉」
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