地上に生きる人々、天空に住まう精霊たち、
神々であれ、人であれ、
同じ場所に存在するという縁の奇跡を尊重して、
神々も精霊も人も、平等に礼拝します。
そして、すべてを平等に礼拝するような、
自然な人の集まりを尊重して、
その集まり自体を礼拝します。
この真理の言葉で、幸せになれます。
[原始仏典『スッタニパータ』
第二章第一節-二百三十八番]
すべての存在に対して、
差別をせずに平等に尊重して敬う人は、
稀有な人だと指摘しています。
犬さん、猫さん、牛さんと、
動物たちをも命を宿す存在として、
神々や精霊と人とも平等に見て、
どの命も尊重して拝むような人は、
非常に少ないという指摘です。
そしてさらには、もしそのような人たちが
自然と集まれば、その集まり自体が奇跡であり、
その集まり自体を礼拝すると記述されています。
日本でも、似た者同士が集まることを
「類は友を呼ぶ」と言います。
気の合う者や、似た者同士は、
自然と集まるものだということです。
「類は友を呼ぶ」の由来は、
古代中国の占術の原典となった書物、
『易経』に見られます。
「方は類を以て聚(あつ)まり、
物は群を以てわかる」
(進む方向が同じようなものは自然と集まり、
集まったものがそれぞれ群れを作ることになる)
易経のこの言葉だけで、
占術の奥義を感じ取ることができます。
*すべては「方向性」を見ることが、占いの奥義である。
*方向性さえわかれば、
それの未来は、自然と誰でもわかる。
ということです。
この易経の内容を降ろしたのは、
古代中国の神話に登場する神または伝説上の帝王であり、
伏義(ふくぎ)と呼ばれる存在です。
半身が蛇で上半身が人の姿ともされ、
妻または妹である女媧(じょか)と互いの尾を
絡ませた姿で描かれていることがあります。
その言葉から物凄い叡智・真理を感じます。
つまり、人は「方向性」さえちゃんとしていれば、
その未来は大丈夫なのです。
今の自分の方向性が定まらない・わからない、
これを迷いの状態と言います。
だから、今の自分が進むべき方向性が
わからない場合は、
常識から考えて良い方向「だけ」を探すことです。
まずは、大きな方向性だけを決めることが大切です。
前記の釈尊の言葉に戻りますと、
・すべてを平等に礼拝するような、
自然な人の集まりの方向性は明るい。
・そのような集まりの人々の未来は、幸福だ。
このようにも読めます。
すべての相手を、存在を、
礼拝するような気持ちで生活をしたいものです。
そういう気持ちで生活をしていれば、
自然と似た人との縁ができるという示唆でもあります。
これからの参考になれば幸いです。
「柔訳 釈尊の教え 第三巻」
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