釈迦族の歴代の聖者たちは、
煩悩(心身を乱す欲心)の消滅、
欲心から離れる生活により、
心の不死性を得ました。
コノ世に、これ以上に
価値のあるものはないのです。
この真理の御宝は、
いつの時代にも存在しています。
だから、私のこの真実の言葉によって、
誰もが幸せになって欲しい。
[原始仏典『スッタニパータ』
第二章第一節-二百二十五番]
誰もが、「今度こそ幸せになりたい!」
と思って、コノ世に生まれています。
でも、生まれてみれば、
その幸せとはお金であったり、
容姿であったり、地位であったり、
何かモノを持つことだと
勘違いをしてしまいます。
本当は、心が幸せになることが、
生まれる前の目的だったのです。
どうして、この大切な目的を忘れ、
本当の目的とは違うモノを持つことを、
幸せと人は勘違いをするのでしょうか?
その理由は、みんなが欲しがるから、
自分も欲しくなっただけ。
たったこれだけで、モノを持つことが
幸福だと勘違いをしてしまっています。
これの正しさを見ることは簡単です。
幼児の前で、可愛らしい人形と普通のボールを並べます。
大人がボールを取って、
大切そうに嬉しそうにボールを胸に抱きます。
すると幼児は、人形は放置したまま、
大人が胸に抱くボールを欲しがります。
ここに、人間のサガが出ています。
・他人が持つモノが、良さそうに見えてしまう。
・自分がすでに持つモノには、関心が薄れる。
・大人になっても、伴侶以外の異性に目が⋯⋯
(やめておきます〜)。
これは、有名人の好感度の調査にも言えることです。
・みんなが好きな有名人は、さらに私も好き、
私も、と好感度が上がって行く。
・でも、何かで問題が報じられますと、
私も嫌い、私も、に変わって行く。
・誰もが見ていたのは、
対象の有名人の良さではなくて、
自分の周囲の人の好みの反応だった可能性。
「いや、そんなことはない。
他人が嫌っても、私はアノ人が好きだ」
と言う人もいますが、その内心では変わり者だと、
自分が言われる心配もするものです。
誰もが欲しがる土地は、褒める場所は、
さらに欲しくなって値段も上がる。
多くの人が嫌がる場所は、
せっかくの良い場所があっても、
避けるのが人のサガです。
本当の土地の価値ではなくて、
風評で左右される価値観が、
コノ世のすべてに貫徹しています。
釈尊は、「それは違うんだ」と指摘しています。
このような幻想の価値観ではなくて、
*煩悩(心身を乱す欲心)の消滅。
*欲心から離れる生活。
*心の不死性を心から自覚すること。
これが、生きている間しか得られない、
もっとも価値が高いことだと断言しています。
誰もが欲しがるモノを、
それを持つことが幸せだと勘違いをしていないでしょうか?
良い自動車に乗りたがるのも、
他人からの視線で決めていないでしょうか?
すでに自分が持つモノを、嫌っていないでしょうか?
すでに在る、自分の生活に感謝ができることが、
釈尊が指摘する本当の幸せに気づく第一歩です。
今の自分が持つ容姿、生活、家族や縁者たち、
これらが好きであることは、
かけがえのない大切で幸福なことです。
もし、自分のすべてが嫌いならば、
それでも有り難い点が、
生きている限り誰にもあるのです。
これに一つずつ気づいていくことが、
正道となります。
失くしてから気づくことは、不幸です。
釈尊の、「この真実の言葉によって、
誰もが幸せになって欲しい」。
この熱い思いを読み取って、
自分の生活を見ていくことが
参考になれば幸いです。
「柔訳 釈尊の教え 第三巻」
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