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「一生懸命は美しい」3/7(木)

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コノ世と、次に生まれ出た時の

人生で得られる財産よりも、

アノ世での、高次元の

天界における最高の御宝よりも、

コノ世で正しく生きて、

如来(最高の仏)となれた人の

価値には敵いません。

この如来になれた人の価値は、

どんな人も目覚めれば、

誰でも持つことになります。

以上のことは、

私(釈尊)の真実の言葉です。

この真理によって、

誰もが救われます。

[原始仏典『スッタニパータ』

  第二章第一節-二百二十四番]

 

釈尊いわく、

*誰でも、正しく生きれば、

如来になれる可能性がある。

*もし如来になれれば、

その価値は、どの次元の

世界における最高の御宝よりも勝る。

これは、私(釈尊)の

真実の言葉だからね!

と断言されています。

 

正しく生きることとは、

何でしょうか?

「自分は絶対正しく生きている」

と思い込んでいましても、

他人から見れば

「え〜〜、あなたが!?」

と思われることは多々あることです。

 

例えばコロナ禍の最近では、

「マスク警察」という

自称の正義の輩が、

街でマスクをしていない

若い女性がいますと、

「マスクしろよ!」

「ダメなんだからな!」

と言いながら背後を付け回すそうです。

 

会社や家庭でのストレスから、

「俺は正しいことをしている!」

ということを理由にして、

他人に説教をして偉ぶりたい人がいます。

 

こういう次元のことを

「正しく生きている」とは、

絶対に言えません。

むしろ迷惑行為の犯罪です。

でも、その人の中では、

「俺は正しいことをしている」

と真剣に思い込んでいるかも知れません。

表面意識ではね。

 

では、「正しく生きる」とは、

それを誰が判定をするのでしょうか?

これを判断するのが、自分の良心です。

さらには自分の意識の

奥に存在する真我(内在神)が

公平に厳格に判断します。

真我の判断は、死後にも、

来生にも影響します。

つまり、どんなに表面意識で

正義を思い込んでいても、

本当のことは「誰もが」

自分自身でわかっているのです。

 

誰もの意識の奥には、

正しく判断する存在(真我・内在神)が

いると思ってください。

自分の自我が言う言い訳も、

すべて知っています。

その正誤・善悪の正体も。

 

つまり、コノ世で正しく生きて、

如来となれた人とは、

*その人の意識の奥に存在する

真我・内在神から、

正しい生き方だと判断された人。

*自分の中の道徳感が、

真我・内在神と一致した人。

こういう生き方をした人は、

生きながら如来へと変わって行きます。

後光が差します。

 

コノ世という、犯罪も、

誘惑も、享楽も多い世界の中でも、

その中であっても、正しく生きることが、

人を如来に進化させやすい

飛躍を生みやすいのです。

 

だから、霊的な意味では、

ハンディが多い人のほうが、

進化をしやすい側面があります。

ぬるま湯の中では、

変化が起こり難いのです。

そのために本当に幸運な人には、

お試しのための災難も、

成長のために起こってくれます。

 

幸不幸の真相は、

私たちが思うことの逆だったのです。

 

誰もが恐れるべきは、

自分の中に在る

道徳心(真我・内在神の思い)です。

この存在が、自分のすべてを

見て知っています。

これが、自分に罰を与えることも、

許すこともします。

 

本当の自分に許される生き方をすること。

こういう人が如来に目覚めていかれます。

 

なぜ「目覚め」なのでしょうか?

本当は、誰の意識の奥にも、

如来はすでに実在しているのです。

如来=真我=内在神でもあります。

 

自分の良心に沿って正しく生きる人は、

誰もが如来に戻れます。

会社で見かける掃除のオバちゃんが、

もう如来に戻った御方かも知れません。

その御顔を見れば、わかることでしょう。

 

「柔訳 釈尊の教え 第三巻」

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