社会の中に住みながら、
最高の真理に触れることを自身の喜びとし、
自分がしたことは自分に必ず返る、
という因果の海を、善行一筋で無事に乗り切った人。
また、人間関係に配慮をして
他人に依存することなく、
社会の中で受ける欲望の束縛からも自由な人であり、
純粋で素直さを維持する人。
このような人は、
輪廻転生からも解放されていきます。
こういう人も聖者という者であると、
古くから賢者たちは指摘しています。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第十二節-二百十九番]
雑多で欲望あふれる自由な社会の中に住んでも、
そういう中に住みながらも、
なぜか真理の本を読むことを好む人がいます。
これは、その人の本性が求めているから、
としか言いようがありません。
でも、これこそが二千五百年も前の原始仏典で、
生まれ変わりを卒業できる人の
サイン・特徴として、最初に指摘されています。
この本を読んでいる人も、
最初の関門をクリアした人だと言えそうです。
でも、まだこの先があるのです。
私たちは、「やったら、やられる」
「自分がしたことは返される」
という繰り返し(輪廻)の体験を受けるために、
何度も生まれ変わっています。
今生も生まれたということは、
まだこの「やったら、やられる」という中にいるわけです。
前世で自分がしでかしたことの、
その反射を受ける立場を体験するために、
今回も生まれている側面があるわけです。
だから不幸の真実とは、
実は、輪廻から解放させるための
幸運の切符である側面もあります。
自分を解放するために、
因果を相殺してくれているのが、
不幸の正体だと因果論では言えるわけです。
*自分が嫌なことをされても、呪わないこと。
不幸だと思わないこと。
*でも、コノ世的な法に従った対応はしても良い。
*自分は、他人には一切の迷惑行為をしない。
*知らずに他人に迷惑をかけていることもあるから、
自分は善行だけをしていくこと。
これで相殺が起こって、
すべてが上書き修正され、
次に生まれ出る因果が消えて行きます。
生まれ出る理由が無くなっていくわけです。
相殺の結果、善徳貯金ばかりになれば、
アノ世の涅槃(最高の天国)で
永遠に暮らすのが仏教の目的です。
でも天国も飽きれば、
如来も菩薩もコノ世に人として生まれて、
再び遊びに来ます。
そして嬉々として、
多くの人々のためになることをしたがります。
以上のような因果の相殺や善行を、
我慢しながら無理にしてもダメなのです。
純粋で素直さを維持しながら、
軽やかにできる人であることが
最後に指摘されています。
今日も真理を読みながら、
嬉々として生活を楽しみながら、
嫌な刺激も軽やかに流しながら、
自分は善(禅・ZEN)だけを意識して
生きたいものです。
この継続で、いつの間にか
涅槃に住むことになります。
「柔訳 釈尊の教え 第三巻」
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お客様の声
伊勢丹新宿店メンズ館
●レザージャケットとパンツを3セ
ットお預かりしていましたが、仕上
がりが「いい感じです。」と、ご満
足いただきました。
●ドレスシャツをシミ抜き不要で洗
いましたが、「いつもきれいにして
くれてありがとう。」とお喜びでし
た。(50代 男性)
阪急メンズ東京
★本日はお忙しい中、及川さんと関
さんに来ていただき、イベントを開
催することが出来ました。ご協力い
ただきましてありがとうございまし
た。イベント中は、ご参加いただい
た方からの質問にも、ご丁寧にお答
えいただき勉強になりました。実際
にアイロンワークも体験できたので
、新しい発見もあったと思います。
また、機会がありましたらよろしく
お願いいたします。