一人で歩き、これを修行とする人。
他人からの評価を気にせずに、
どんな風評を立てられても、
心を煩わすことがなく、
ライオンの如く堂々としており、
どんな罠の網からも風のように立ち去り、
どんな泥水の中に入っても、
蓮の花のように泥が付かない人。
そして、他人に示唆を与えることはあっても、
他人からの誘導には乗らない人。
そういう人が聖者という者であると、
古くから賢者は指摘しています。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第十二節-二百十三番]
この内容には、「自分の心が病まない」ための
秘訣が書かれています。
これの逆の人は、心の問題に要注意です。
・大勢がいる中で、一人でいることが恥ずかしく、
カッコ悪いと思ってしまう人。
・他人からの言葉や評価を、
ビクビクと気にしている人。
・他人の視線が怖くて、
少しでも他人の視線から隠れたい人。
・そこに罠が見えているのに、
何を言われるのかが心配で、
立ち去ることができない人。
・自分の周囲からの悪い影響を、
わかっていても避けることができない人。
・自分の意思というものが信じられずに、
他人からの誘導を待つ人。
こういう人は、自分で自分の心を痛めつけています。
心が病んでいく可能性に注意しましょう。
この項には、現代人にこそ必要な、
心の注意点が列挙されています。
・ポツンと一人でいることが、カッコ悪いと思う人。
これは特に女性に多いです。
女性は学生の頃から、
休み時間にトイレに行くのも複数で行きたがります。
大人になっても、
勤務先や子どもの学校のPTAなどにおいて、
複数の特定の女性たちと
徒党を組むことを好む女性が多いです。
一人でいる女性は何となく引け目を感じてしまい、
職場や学校の行事や集まりに
出るのも嫌になるものです。
でもたまに、一人でいても自然に振る舞い、
堂々としている女性もいます。
この項の釈尊の示唆では、
・トイレも複数で行きたがる人。
・集団の中でも、仲間と組みたがる人。
・一人でいることがカッコ悪いと思ってしまう人。
このような人は、そのような関係が崩れた時に、
もっとも心身が弱い人であり病みやすい、
聖者の心境からもっとも離れた段階の心境。
このように言えそうです。
この項の指摘で私が好きなのは、
蓮の花のところです。
*蓮の花は、泥水の中でも、
泥がスルリと落ちて泥が付かない。
*どんな泥も、蓮の花を汚すことはできない。
これは阿弥陀経の中に、
蓮の花の「淤泥不染(おでいふぜん)の徳」
として書かれています。
どんな環境や集団の中にいても、
自分の心は汚されないことを指します。
多くの人は、何か問題や不満があれば、
自分の家庭や生活環境を変えなければ、
自分は改善しないと思いがちです。
自分の欠点を、周囲の環境や
親の責任にしている人もいます。
でも、それは間違いです。
自分の心に、外からの嫌な刺激を響かせるのは、
心に届けるのは、自分自身なのです。
自分の心にまで届かせるのは、
最後は自分なのです。
蓮の花は、どんな泥水もスルリと落ちます。
泥の中でも、美しく輝いています。
これが、人間にも可能なのです。
そういう人になることを、
参考にしていただけたならば幸いです。
「柔訳 釈尊の教え」
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お客様の声
伊勢丹新宿店メンズ館
●ダウンコートが「フワフワで軽い
し、ファーもボリュームが出て、と
ってもいい感じです。」と、大変お
喜びいただきました。
(30代 女性)
阪急メンズ東京
●3月3日のアイロンワーク実演会
について、阪急メンズ東京のホーム
ページと、ポスター、館内告知ポス
ター、店内放送での告知等準備いた
しました。