釈尊が答えられました。
「雪山に住む神霊よ。
人間に六種類の機能(眼・耳・口・鼻・身体・頭脳)が揃うほどに、
社会性が生じるのである。
「原子仏典『スッタニパータ』第一章第九節ー百六十九番」
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釈尊が答えられました。
「雪山に住む神霊よ。
人間に六種類の機能(眼・耳・口・鼻・身体・頭脳)が揃うほどに、
社会性が生じるのである。
人間はその人なりの六種類の機能の強弱の上で他人と比較し、
”私が”という自我が生まれて、社会性を競い合うのである。
そこでだ。
不幸なことに人間は、その六種類の機能そのものが自分自身であると錯覚し、
社会の中で自分の存在価値を持とうとしてしまうのだ。
つまりだ、本当の自分ではない六種類の機能が、
社会における自分の存在価値だと思うことに、人間に苦しみが生じるのである。」
「原子仏典『スッタニパータ』第一章第九節ー百六十九番」
釈尊が逃げずに誤魔化さずに、かなり直球で詳細な返答をしています。
人間は、他人を評する時に「あの人は頭が良い」「悪い」という言い方をよくするもので
す。そもそも、こういう言葉が、どうして出るのでしょうか?
・自分が気にしている視点が、他人の頭脳の良し悪しであるから。
・この言葉は自分自身の頭との比較をした上で、相手を評している。
・頭が悪いことは、カッコ悪い、嫌だと思っている。
こういう表現をする人は、「頭脳=じぶんという人間を表現している」と思っているフシが
確かにあります。頭脳に限らず、人は六種類の機能(眼・耳・口・鼻・身体・頭脳)の高低
と、その美醜も入れた他人との比較において、「それが自分という者だ」と思い込んでいます。
他人を見る場合も、六種類の機能の高低と、その美醜を比較しながら「それがアノ人という
ものだ」と思い込んでいます。
でも釈尊は、
*それは、ただの機能であって、本当のあなたではない。
*その美醜はただの形であって、本当のあなたではない。
このように指摘しています。
でも人は、それでも、それが自分だと思っているものです。
しかし、人間は年を取るほどに六種類の機能を無くしていくことになります。機能の
一つや二つを無くしても、外見が老いても、やはり自分は自分であり、同じ人間なわけです。
若い頃は、六種類の機能の自分を、私という者だと思い込んでいたのですが、老人になれば、
「あれは一時の仮の自分に過ぎない」ということがわかります。
でも若いうちは、その六種類の機能と美醜について、真剣に、ある時は死ぬほど悩んで、他人と
比較しながら苦しんでいるのが人間なのです。
まさに釈尊が言われる、
「六種類の機能が自分自身だと思い込み、自分の存在価値を、社会の中で競い合って持とうと
するために、人間に苦しみが生じる。」
これがズバリ言えると感じます。
いずれは消えていく六種類の機能を存在価値だと思って、自分の心を痛めたり、他人を傷つけた
りしてはいけません。
障がい者の御方は、少し早めに六種類の機能の何かを失くしただけであり、健康な人もいずれは
順番に失くしていくのです。
死ぬ時は全員が平等にすべての機能を失くしてコノ世を去るのが法則です。
機能を失くすのが遅いか早いかだけで、自分の心を痛めないでいましょう。
さて、釈尊のこの返答を受けて、神霊は次に何を言うのでしょうか?
「柔訳 釈尊の教え 第ニ巻」
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