立っている時も、
歩いている最中も、
座っている時も、
横になってくつろぐ時も、
睡眠に落ちている時以外は、
無限に広がるような
大きな愛情(慈悲・情け心)を思いつつ、
いつでもこの愛情の中に、
自分の心を住まわせるようにしましょう。
仏教の教えとして、この状態こそが、
梵(宇宙の法則)に住む最高の心境なのです。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第八節百五十一番]
はたして人は、自分の心を住まわせる場所を、
自分で選択ができるのでしょうか?
釈尊は、それができるとおっしゃっています。
しかも、それが宇宙の法則に従った、
最重要なことだと指摘されています。
考えてみますと、
自分の心をどこに置くのか?
これを人は意識していません。
私たちは、自分の感情のおもむくままに今日も、
・ああ、仕事が嫌だ。
・学校に行きたくない。
・あの人に腹が立つ。
あの人が嫌いだ。あんなことを言われた。
・今日も元彼のことを考えてしまう。
などなどと、自分の心を、
ある特定の場所に確かに置いているのです。
今日も、怒りの世界に心を置くのか?
色情の世界に今夜も心を置くのか?
妬みの世界に心を置き続けるのか?
知らず知らずのうちに、
人は色々な世界に自分の心を置いています。
そこで釈尊は、
「無限に広がるような
大きな愛情(慈悲・情け心)の思いの中に、
自分の心を住まわせるようにしましょう。
置きましょう」
と提案されています。
そして、この状態に心を住まわせることが、
仏教における最高の梵の境地、
涅槃(天国)に生きながら
住む状態だと指摘しています。
この雑多な欲望と色情の社会の中でも、
人は自分の心だけは、
愛情という慈悲の世界に住むことが可能なのです。
自分の心は慈悲(思いやり)に住んだまま、
この社会の中を歩いて行きますと、
どんなダメな人を見ましても、
*毛嫌いする気持ちになれません。
*それも、仕方がない、と思えます。
*大きな視点で、眺めることができます。
*自分の心が、影響を受けることがありません。
さあ今日も、皆様はどんな心境に
自分の心を住まわせるのでしょうか?
色々な感情の世界に、
人は自分の心を置くことが自由にできます。
それが、怒りの世界でないように、
ただ心配だけをする世界ではないように、
できれば愛情や思いやりの世界に、
自分の心を置きたいものです。
これができない場合は、
*無心で、行動に専念することが大切です。
*働いていれば、行動していれば、
漏電する心配を抑えることが可能です。
とにかく今日は、
*自分の心を置く場所を選択するべき。
*それを意識したほうが良い。
という指摘を参考にしていただければ、幸いです。
これは、悪い憑依を避けることにもなります。
人間は一時的にでも、
自分が思っている最中の世界に住んでいる。
これは重要なことなのです。
「柔訳 釈尊の教え 第二巻」
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お客様の声
君津本店
★かなり汚れた吐きジミのスーツの
仕上がりを見て、「きれいになって
ます!!」と。お父様がご来店され
ました。(50代 男性)
木更津店
●コートのシミ抜きがとてもきれい
になって、お客様も喜ばれました。
伊勢丹新宿店メンズ館
★白いダウンジャンバーの仕上がり
に、「きたなかったのに、かなりき
れいになりましたね。」と、ニコニ
コ大喜びでした。(30代 男性)