思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

「世の人々の賞賛を得ようとして強い力を求めたのに神様の存在に気づけるようにと弱さを授かった」1/24(水)

投稿日:

 

究極の静寂な段階の

涅槃(天国のこと)にいよいよ近づき、

生きながら体験をしたとしても、

仏教の真理の本質を本当に理解した人ならば、

人として必ずしなければいけないことがあります。

それは、ひたむきな求道者としての

態度であり続けること。

それも脇目も振らない、

ひたむきさであること。

優しい思いやりのある言葉のみを話すこと。

常に柔和な微笑みでいること。

もっとも大切なことは、

人間として非常に謙虚な

人物でなければ本物ではない。

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第八節―百四十三番]

 

「私は悟った!」「光明を見た!」「神秘なる体験をした!」

と自称したところで、

それは他人には分からないし、関係ないことです。

そう言われても、

「ああ、そうですか」「良かったね」と思うしかありません。

 

釈尊は、そんな自称の神秘体験よりも、

その人物が「人間として」、

・ひたむきで、他人に優しくて、

常に微笑む人であり、

・謙虚な人であるか、否か?

これらのことのほうが、

非常に重要だとおっしゃっています。

「仏教の本質はこれだ」とも指摘されています。

さすがは釈尊です。社会的にもバランス感覚のある、

常識のある人物だったことがわかる項です。

 

そうしますと、現代社会にも多い、

悟ったと自称して高額な伝授(?)料金を

徴収する偉そうな先生ほど、

本物の真理から程遠い人物だと言えます。

ある出版社の精神世界を専門に

担当する人の話を、

知人経由で伝え聞いたことがあります。

有名な先生でも、表向きは柔和に見せていても、

陰では身近にいるスタッフや親族を

罵倒している先生、

中には口だけでなく手も出す、

人や物に当たる先生も。

こういう先生は、ニセモノばかりだったと

断言されていたそうです。

まさに、この項で釈尊が指摘する通りです。

 

*悟りよりも、コノ世では大切なことがある。

*それは、どんな人も、

謙虚であらねば真理から離れること。

非常に単純で明快なことです。

 

逆に言えば、ひたむきで、

他人に優しくて、常に微笑む人であり、

謙虚な人物。

こういう人の中にこそ、

本当に悟った人物が

「隠れている」という指摘でもあります。

今の社会の中にも、男女を問わず、

このような本物がおられることでしょう。

 

さらに言えば、ひたむきで、

他人に優しくて、常に微笑む人であり、

謙虚でいること。

これを雑多な厳しい社会の中で、

もし自身の求道のテーマとして生きれば、

*その人は悟る可能性がある。

*生きながら涅槃に入る神秘体験を垣間見る。

とも、この項は示唆しています。

 

なるほど釈尊こそは、

コノ世のあらゆる宗教的な苦行を、

死ぬ手前までやり切ったが悟れず。

「ダメだこりゃ」とあきらめて

木陰で自身の死を待っていた時に、

重労働の運搬をする女性から

「可哀想に」と思われ、

お情けの乳粥の施しを受けて、

悟りに落ちました。

苦行よりも、他人からの慈悲の

有り難さに真から気づいた時に、

悟ったわけです。

 

*ひたむきで、他人に優しくて、

常に微笑む人であり、謙虚でいること。

これが悟りにも重要であることがよくわかります。

これを人生の中で、

自分なりに心がけるだけでも、

運命が変わることでしょう。

皆様の参考になれば幸いです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第二巻」

・・・・・・・・・・・・・・・

お客様の声

君津本店

●ずっと着てなくて、忘れ去られてい

たスーツ(ほこりと汚れ)が、水洗い

とシリコーンドライ、そして部分シミ

抜きでとってもきれいになって、とて

も喜んでいただきました。

(40代 男性)

 

伊勢丹新宿店メンズ館

●醤油のシミが付いたサンローラン

のキャップがきれいになって、どこ

にシミが付いていたのか全くわから

なくなりました。「お客様の品物な

のでキレイになってよかったです。

」と、大変お喜びでした。

(20代 男性)

 

 

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.