欲は少なくして、知識を満たす生活は、
身体を着飾る心配が起こりません。
また、このような質素な生活をすることは、
苦悩するような社会の雑事からも
自然と遠ざかることにもなります。
静寂な生活の継続は、
叡智(知恵)が働きだします。
このような生活は、
他人に見栄を張ることも、
他の家に媚びることも不要にさせます。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第八節-百四十四番]
釈尊のこの内容は、まさに、「足るを知る」
(身の程をわきまえて、むやみに不満を持たないこと)
を指しています。
これは老子の
「知足之足、常足矣」という言葉が由来です。
私は以前から、
「宮廷にいた若き釈尊を
教えた家庭教師こそが、
古代中国インドに放浪して来た
伝説の老子だった」と指摘しています。
この項の内容もまさに、
その痕跡を証明していると思います。
老子と釈尊とは、年代的にも、
年齢差においても、
家庭教師と子弟という関係が
あったとしても不思議ではありません。
数千年を経ましても
地球史に残る「老子」と「釈尊」という、
叡智の二大巨頭が出会っていたと
想像するだけでもロマンを感じます。
やはり大いなる地球の隠れた意志を感じさせます。
人類の進化のために
必要な出会いが「あった」と想像します。
釈尊を悟りへと誘導した基礎には、
老子の教えがあったことを仏典の端々に感じます。
この項を、逆の視点で表現してみましょう。
*我欲が大きくて、知識のない人は、
身体を着飾ることに一生懸命になる。
*そして金銭の浪費も、過大になっていく。
*そのために金を稼ぐ必要に迫られ、
社会の色々な仕事・他人の欲望を
叶える雑事に自ら接近していくことになる。
*煩雑で喧騒な生活をしていると、
正しい知恵と「正しい判断」から
ますます遠ざかることになっていく。
*このような生活をしている限り、
他人に見栄を張り続け、
金のために他人に媚びる生活と
所業を継続させることになる。
このように言い換えることも可能です。
「逆からの視点」は、
物事の隠れた真実を露呈させます。
また、「そうなりますよ」という
予言も教えてくれそうです。
「欲は少なくして、知識を満たす生活」、
これを参考にしたいものです。
「柔訳 釈尊の教え 第二巻」
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お客様の声
君津本店
●ジャンバー2点をシミ抜きでお預
かりし、本日お受け取りに来られ、
「よかったー。きれいになって。」
と、ほっとされていました。
(50代 男性)
伊勢丹新宿店メンズ館
★セーターに整髪料を多量にこぼし
てしまって心配なさっていましたが
、「きれいになりましたね。」と、
お喜びでした。(30代 男性)