どんな苦難も永遠には続かない。
夜の後は、必ず朝が来る。
すべては短い短い人生の
期間限定の思い出を生きていることを
思い知ることです。
後ろを振り返らず、
明るく今を思いっきり生きてみましょう。
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バラモン階級(インドの身分制度の
頂点に位置する司祭階級)に生まれ、
ヴェーダ(古代インドの
バラモン教の聖典の総称)を
学習・暗唱し、ヴェーダに基づいた
生活を代々おこなう司祭たちの中にも、
悪しき行為をおこなう者が
しばしば見られます。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第七節-百四十番]
そうすれば、今生は
最高の身分に生まれた者でも、
今生においては、
陰で人々から非難されて、
来生は、劣悪な条件の元に生まれます。
つまり、そういう者が
今生に生まれた最高の身分とは、
世間から非難されることも、
来生に悪しき環境に生まれ直すことも、
止めることができないものに過ぎません。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第七節ー百四十一番]
今生の絶対的な身分や成功は、
来生には何の効果も特典もない。
むしろ、最高の身分を
悪用した者や、今生で
成功したからと言って、
慢心して悪事を働いた者は、
死の川をまたげば、
すべてを取り上げられて、
来生はその反射を受けた人生を
一からやり直す。
このような転生
(生まれ変わり)の仕組みを、
釈尊が自分を門前払いを
しようとした最高の身分の
司祭に対して述べました。
こういう転生の法則を
冷静に考えますと、
・最高の有利な身分に生まれた人ほど、
・金銭的に莫大な成功をした人ほど、
・お金と時間を持て余す男女ほど、
*真面目に暮らそうとしても、
コノ世での悪しき誘惑の機会が多い。
*我慢・自制しなければ
いけないことが増える。
ということが、言えないでしょうか。
つまり、私たちがコノ世で
欲しがる物事とは、
それを実際に手にするほど、
地獄に行く「縁」も増えている、
という二面性が同時に
発生していると言えそうです。
さらに言えば、
*仕事が忙しいために、
貯金も遊ぶ時間もないために、
悪事から離れている。
*これはお浄土に向かっている。
このように考えることもできます。
まさに、「人間万事塞翁が馬」。
私たちの何が、幸いに・不幸に、
転じるのかは未知なのです。
つまり、コノ世で成功した人ほど、
*謙虚に暮らさなければいけない。
*多い色情の誘惑の手を、
我慢しなければいけない。
*地位のある自分の行為で、
知らずに他人の人生を壊していないか?
*高い地位にある者ほど、
公平に生きなければ来生が怖い。
*成功しても、良いことがない。
むしろ来生は地獄に行く機会が増えている。
こういうことにもなりかねません。
でも実際に、メザシの土光さん
(土光敏夫氏、
昭和に活躍された大経営者)のように、
大きな収入があっても
庶民よりも質素で
不便な生活をされた御方も実在します。
家族の方々も、
大変だったと思います。
しかし、確かに菩薩・如来級の
御方だったと感じます。
稀有なる人生です。
非常に稀な御方でした。
また、今生の自分が
苦しい環境に生まれたからと言って、
その分、悪事をしても
許されることなど絶対にないのです。
来生は、さらに苦しく生まれるのが、
転生の仕組みです。
こういうことが転生の法則として、
宇宙に淡々と流れています。
これは非常に畏れるべき法則であり、
逆に言えば、
どんな善行もムダにならない、
ということも言えます。
自分がコノ世でおこなったことは、
善悪ともに、
*絶対に消えることがない。
*逃げ得は有り得ない。
*うやむやに消えることがない。
でも、だからこそ、
今からの善行で上書きも可能である。
大いなる存在が仕組んだ法則とは、
大きな愛情の上で、
私たちの魂(心)を育てています。
何回でも人生を「やり直し」
(転生)させて、今も見てくれています。
今日も、大いなる存在の手の平の上で、
良心に基づいて転げ回って生きましょう。
良心(内在神・仏性)に従っていれば、
コノ世の結果はどんな状態でも、
問題はないのです。
来生に完全に反映されることでしょう。
「柔訳 釈尊の教え 第二巻」
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お客様の声
君津本店
●横田店に行かれていた方がご来店
。毛布を1点お持ちになり、「以前
、他店で洗ったら石油臭くて・・。
ここだったら水で洗ってくれて、安
心して出せるので。」とのことでし
た。(40代 女性)