他人から相談を受けた時に、
わざと相手の不利益になることを
教えたり、逆を教えて相手が
困るように誘導したりして楽しむ人。
そのような人こそが、
最低の人間である。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第七節-百二十六番]
道を聞かれた時に、
悪意から反対の方向をわざと教えて、
自分のストレスを発散させる
人がいるかも知れません。
あるいは、自分一人の時は
しない人でも、仲間といる時は、
道を聞く他人に逆を教えて、
仲間のウケ笑いを狙う人も
いるかも知れません。
釈尊は、困る相手に
密かに逆を教えて
楽しむような人間は、
最低な人だと指摘しています。
釈尊が言う最低とは、
ただの最低だという
評価だけではありません。
釈尊の視点のすべての根底には、
どの発言にも常に
輸廻転生(生まれ変わること)が
意識され、来生に「悪い条件で」
生まれ変わる原因(因果)を
創らないような生き方を
目指します。
すると、釈尊が最低だと指摘する
「悪意から逆を教えて楽しむ行為」とは、
私たちが想像する以上に、
・悪い因果を創造し、
来生の自分に影響すること。
・ただでは済まないこと。
これを意味します。
でも、自分の善意から、
間違いを教えた場合は
因果にはなりません。
これを、個人の内在神が
完璧に記録し、判定します。
例えば、道を聞いた人の目的地が、
病院だったとします。
その人は、見かけではわからなくても、
すぐに治療を受ける必要のある
問題を抱える病人だったかも知れません。
→その御方は、逆方向に進んだために、
治療が手遅れになり亡くなります。
または、死にかけている
親の入院先の病院を、
遠方から尋ねて来た人かも知れません。
→ウソを教えられたために、
親の死に目に会えませんでした。
もし万が一、
他人に逆を教えて離れた後に、
その相手にこのような事態が
発生していた場合、
ウソをついた本人は知らないわけです。
すぐに忘れ去り、
思い出すこともないでしょう。
でも、コノ世の因果の仕組みとは、
本当に完璧に追跡されて
一切の漏れがなく、
ウソをついた本人の
来生の転生に影響・反映されます。
前世で自分がした罪を、
利子付きで償うように反映されます。
しかし、その時は、
「なぜ自分だけが」「不幸だ」
「運がない」「他人のせいだ」
と思っているのが
今の私たちなのです。
因果の流れの記憶が
消されることで、
「意味不明な不幸」だと
生きる人は思うものです。
でも、釈尊の発言は、
*コノ世に不幸はない。
*ヤったら、ヤられる、
という完璧な「法則」が
流れているだけ(因果論)
と指摘します。
この法則を理解すれば、
幸福になることも、
良い果報を
「将来・来生の自分」何
受け取ることも、
完璧に「そうなる」ことがわかります。
自分が善行をすれば、
コノ世で反映するかも知れないし、
今生で受け取れなくても
「来生に」「嫌でも」
必ず反映します。
この因果論は、
神道の基本にも示唆されています。
天照太御神が、
天孫(孫のニニギ尊)が
コノ世に行くと言った時に、
「その世界(コノ世)は、
鏡の世界だから、
これに注意して絶対に忘れないように」
と告げて、この戒めを忘れないために
鏡を持たせました。
鏡とは、「必ず映る」を意味します。
つまり自分がした行動は、
必ず自分に反射することを意味します。
これは逆に言えば、
「アホウに思われても
善行しかしません」と誓う人には、
心強い法則です。
その人の将来か来生には、
幸福・幸運・意味不明な金運が
保証されるからです。
悪い因果も完璧に発動するならば、
良い因果も嫌でも
自分に起こっていきます。
このような話をたまには読んで、
「よし、善行するぞ」と思って
いただけるならば幸いです。
「柔訳 釈尊の教え 第ニ巻」
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今日は誕生日
今日は67歳の誕生日です。
まったく心は青春そのものですが、
歳をくった分だけ知恵がついた
ようには思います。
ちなみに肉体年齢は51歳で歳の
わりには若いです。
今日は会社の新年互礼会と新年会、
そしてビデオレターでお祝いの言葉
を家族や縁のある知人たちから
いただきました。
ありがとうございました。
大きな変化の時代。
しっかり味わい楽しみながら
波に乗って乗り切っていきたい
です。
志和龍城認定こども園互礼会
新年リモート研修会
お客様の声
伊勢丹新宿店メンズ館
●飲食店でロングコートとチュニッ
クにスープがかかってしまい、シミ
が取れるかをとても心配されていま
したが、輪ジミも全くわからないよ
うになり、大変喜んでお帰りになら
れました。工房の方へのお礼もお伝
え下さいとのことでした。
(40代 女性)