子どもも、奥さんも、父や母も、
家の財産や備蓄穀物も、
親類や友人たちも、
自分自身に関するどんなことも、
自分の所有欲の対象とするのはやめなさい。
どんな交わり、集団の中に自分がいましても、
自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで一本角が立つサイのように
一人で歩みなさい。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第三節―六十番]
この項の解釈については、
私の訳と他の訳とは大きく違います。
他の訳では、
*釈尊が、妻帯も家族も、
自分の家さえも捨てなさいと言った。
*この項が、出家(家族も家庭生活も捨てて
仏門に入ること)を勧める根拠。
という意味に解釈がされています。
しかし、私の解釈は大きく違います。
釈尊が御自身の家族を捨てたからと言って、
これを他人に強要・示唆を
することは有り得ません。
釈尊が家庭から離れたのは、
(1)自分がどうしても
成し遂げたい使命感のためだった。
(2)その使命感は、従来の宗教から
攻撃される危険な内容
(集団の否定、師匠不要論、
身分差別制度の廃止を主張。
一人での求道が目的)だったので、
家族の身に危害が及ばないように、
王室や家系を守るために絶縁した。
(3)自分の使命感を実行するように
天啓(天から命令されること)を受けたから。
このような理由から、
釈尊はすべてを捨てられたと感じます。
これを釈尊が、一般人にも同じように
勧めることは有り得ません。
そんなことを多くの人々が真似れば、
社会が混乱し破壊されます。
家庭は崩壊し、子どもも
生まれないことになります。
有り得ないことです。
この項こそは、私が何度も書いてきました、
*自分の家族も、財産も、友人たちも、
その時の食料さえも、自分自身のモノではなくて、
自分が預かっているだけに過ぎない。
ということを釈尊が
ズバリと言っている項だと思います。
霊的には、私たちの自分の肉体でさえ、
先祖から預かっているに過ぎないのです。
いずれ時が来れば、
先祖に肉体もお返しすることに誰もがなります。
自分の伴侶を「自分のモノ」「自分の所有物」
と思い始めた瞬間から、
伴侶を拘束する言動と行動が始まります。
そして夫婦不仲に段々と傾いていきます。
我が子を「自分の所有物」
という視線で見ますと、
子どもを過剰に怒ることになり始めます。
子どもが独自に伸びる芽も破壊します。
結果的には、親不孝をする
子どもに親自身がしてしまうかも知れません。
財産も自分だけの物、
という執着を持ち始めた時から、
財産が減る傾向が始まります。
お金のほうから逃げて行くのです。
自分が持つ金銭への嫌な執着が、
周囲の人々を離れさせていくために、
お金も減る方向・事態へとなぜか進むのです。
そうなる、のです。
これらのすべては、
「自分の所有欲の対象とするのはやめなさい」
という釈尊の一喝で無難にすることが可能です。
「自分が預かっているだけ」という視点で、
自分の持ち物も含めて周囲を見てみましょう。
自分の仕事も、
「今日もさせていただいている」
という視点を毎朝に思えば、
その仕事は伸びるかも知れません。
このような「自分が預かっているだけ」
「自分が持たせていただいているだけ」
という視点を忘れなければ、
すべては順調に進んで行くものなのです。
「柔訳 釈尊の言葉 第一巻」
著:伊勢白山道より転載
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