ワレヨシなドン欲になることがなく、
普段にイラ立つことがなく、
自分勝手な欲望を持たずに、
正しい他人を非難したくなる気持ちが
自分にないこと。
自分の激しい性(サガ)による
欲情や悪事をしないこと。
このような悪い自分のサガを霧散させて、
社会全体で自分が認められたいという
願望が消えた人は、どんな交わり、
集団の中に自分がいましても、
自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで一本角が立つサイのように
一人で歩みなさい。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第三節-五十六番]
この項で特に気になる一行は
「正しい他人を非難したくなる気持ちが
自分にないこと」
真面目な人や、正論ばかり言う人、
このような他人を非難をしたくなる気持ち。
正しい他人をイジメたくなる気持ち。
このような気持ちを自分自身が
持つ時の心境・環境とは、
いったいどんなものなのでしょうか。
正しい他人をイジメたくなった時の心境とは、
*自分が間違っているのは
薄々わかっているが、
モヤモヤとした自分と他人への
非難が消えない。
*自分の私生活が不満だらけで、
満たされていない。
*恥ずかしい自分が
いることがわかっているが、
どうしても他人には攻撃的に出てしまう。
これはまるで小学生の男子が、
好きな女子にイジワルをして
自分に気を引きたい心境に似ています。
なぜか、人のサガは逆をしてしまうのです。
これが大人になっても、
人のサガとして誰もの
心の根底に潜んでいます。
社会人になりましても、
*自分が会社を首になることが
ほぼ決まっている場合、
周囲の順調な社員に対して
自分が理不尽だとわかっているが腹が立つ。
*仲の良い女友達の婚約者が、
凄く裕福でイケメンだとわかると、
なぜか素直に祝う気持ちになれなくて、
そんな自分も嫌になる。
*子どもと仲の良い近所の
同級生の友達が成績優秀で一番だと、
親の自分が変に意識してしまう。
*駅周辺でホームレス生活をしている人が、
寒い師走の夜に忘年会で
酔って浮かれている会社員を見た時に、
何を思うのか?
人は、自分が満たされない時に、
寂しい時に、他人を
非難したくなるサガがあるということです。
でも釈尊は、このように思う間は
ダメだとおっしゃっています。
*このような心境が自分から消えた時、
*自分が困難な状況でも、
どんな他人も心から祝福ができる
「素直な」心境になれた時、
*その人は、一本角のサイのように
自分の求道を進みなさい。
涅槃(天国)に至る心になれる可能性がある。
とおっしゃっています。
人の心とは、なんと複雑であり
変化をするのでしょうか。
まさに宇宙です。
だからこそ、わざわざコノ世に生まれて来て、
自分で求道する意味も価値もあるのです。
誰もが自分の宇宙を
完成させるために生まれています。
今日も明るくがんばりましょう。
「柔訳 釈尊の言葉 第一巻」
著:伊勢白山道より転載
・・・・・・・・・・・・
お客様の声
君津本店
●「庭がきれいですね。」と、東京
からご来店のSssama .今日はお父様
とご一緒に来店され、80代と思われ
ますが、とても周りをご覧になられ
ていました。
伊勢丹新宿店メンズ館
●エルメスの婦人上着のチョコレー
トのシミ抜きのみをさせていただき
ました。「きれいに取れてます。さ
すがですね。」と、お元場を頂戴し
ました。
阪急メンズ東京
●ベルベットのパンツの仕上がり
を喜んでいただきました。