思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

未分類

「いのちの花はまさに一人ひとり今咲いている(生きている)最中なのです」12/11(月)

投稿日:

 

人は、すべての葉が枯れ落ちた

黒檀(こくたん:鉄のように硬い褐色の木)のように、

スッキリといなければいけません。

世俗の中にいましても、

家庭生活の苦労を

表面に滲ませていてはダメなのです。

家庭生活からの束縛がありましても、

ひょうひょうとして生きることが大切です。

どんな交わり、集団の中に自分がいましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで一本角が立つサイのように

一人で歩みなさい。

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第三節-四十四番]

 

世間では、「あの人は幸せそうに見える」

「いつも楽をしているように見える」

と言われる人がいます。

はたして、その人の生活は

本当に幸せで楽なのでしょうか?

 

その一方で、大きな家に住む

裕福そうな奥さんで、

いつも眉間にシワを寄せて

怒っているように見えてしまう人もいます。

はたして、どちらの生活に

本当の楽があるのでしょうか?

 

この項で釈尊は、本当は生活が苦しくても、

それを自分の表面に滲ませているようでは

ダメだとおっしゃっています。

これは自分が苦しくても、

虚勢を張ったり、見栄を張れ、貧乏を隠せ、

と言っているのではないのです。

 

「生(世)老病死」、人がコノ世に生きる限りは、

必ず自分自身に不足が生じるような法則に

できた世界なのです。

だから、人それぞれに応じて、

必ず苦労も不満も悩みもあるのが人間です。

 

それでも、自分の顔に苦労を滲ませているのは、

その苦労に自分自身が負けているということです。

苦労に負けている間は、

その苦労からはなかなか卒業が

できないのも法則なのです。

特に釈尊が生きた時代とは、

生きること自体=苦渋の生活、でもありました。

平均寿命は、現代の約半分でした。

 

*どんな苦労があっても、

それを自分の表面に滲ませている間は、

その転生(生まれ変り)は終わらない。

ということでもあります。

どんな苦労が自分の家庭にありましても、

それに束縛された風には見せず、

ひょうひょうと生きたいものです。

ただし、その苦労からは逃げずに、

努力をしていることが条件です。

この継続は、苦労の克服と、

次の段階への改善を

現実に起こすことでしょう。

 

会社では、独身のように小綺麗で

楽しそうにしていましても、

私生活では介護が必要な家族を

抱えている女性もいます。

大きな苦労が自分自身にありましても、

それに負けていないのです。

やはりその継続は、

包容力の強い観音様のような

御顔への変身をしていかれます。

 

苦しさが自分の顔に出る間は、

その苦労は継続するものです。

でも、何かが吹っ切れた時に、

何かがスッキリと腑に落ち、

その苦労から「逃げる気持ち」が

消えて行くものです。

そして改善と、次の段階へと

進む変化が現実に起こるものです。

 

この項は、釈尊が示す「生きる方向性」

として知っておいていただければ十分です。

苦しいものは苦しい。これは現実です。

でも、スッキリと生活するべきだという

方向性だけを認識していれば、

やはり本当に変わっていくものです。

人生の羅針盤を「先に」知るだけでも、

やはり無闇に絶望の中にいるだけとは

天地の違いが後から生じます。

今日も自分なりに「明るく」生きましょう。

これで良いのです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第一巻」

著:伊勢白山道より転載

・・・・・・・・・・・・・・

お客様の声

君津本店

★「テレビを見て、いつか行けたら

とメモしておいて、やっと来れまし

た。」と、お宮参りのお着物と、ご

自分で作ったという子供さんのワン

ピース。24年前の品物をお預かりし

ました。

 

伊勢丹新宿店メンズ館

●ヘルノのダウンジャンバーの全体

の汚れと、特に袖と首回りを気にさ

れていましたが、「グレーの色がよ

り白くなってる!とてもきれいにな

ってるし、ダウンも前よりふわふわ

して、厚みがでた気がする。」と、

大変お喜びでした。

 

-未分類

Copyright© 日々是笑日 , 2024 All Rights Reserved Powered by STINGER.