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「不満を持てるのも、生きているからこそ」12/10(日)

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すべてを捨てて出家

(専門の僧になること)したからと言って、

心の不満が消えることはありません。

また、家庭生活(ある程度の欲を満たす)を

しながらの修行者も、

同様に不満心が消えません。

社会の他の人々との「比較」をして、

気にするがゆえの不満心を人は常に持ちます。

どんな交わり、集団の中に自分がいましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

まるで一本角が立つサイのように

一人で歩みなさい。

[原始仏典『スッタニパータ』

第一章第三節-四十三番]

 

人は、こうなれば安心ができる、

アレが叶えば安心する、などと

今の生活の中で思うものです。

結婚すれば安心する、

就職できれば安心する、

金持ちになれれば安心する、

健康になれば安心する、

離婚すれば安心ができる、

試験に合格すれば安心するだろう、

などなどと思うものです。

 

何かの「形」を入手すると安心ができると、

人は頑なに信じています。

でも釈尊は、これを完全に否定しています。

出家したからと言って、

何かが変わることはない。

何かの形が叶っても、

「揃っても」、人は今と同じだということです。

 

人がそうなる原因が、

「他人との比較から来る」と

釈尊はおっしゃっています。

*自分は健康ではないからダメだ

(健康な他人と自分を比較)。

*自分は貧乏だからダメだ

(裕福な他人を見ている)。

*自分は太っているからダメだ

(痩せている他人と比較)。

*自分には子どもがいないからダメだ

(子どもがいる他人を見ている)。

 

人は、他人を見ては、

他人と比較しては、

自分の人生を決めつけているのが実態です。

他人の姿に左右される人生には、

いつまで経っても

真の自由が訪れることがありません。

いつまで経っても、何が叶っても、

他人の生活という幻想が付いて回って

人は安心ができないのです。

では、どうすればよいのでしょうか?

 

だからこそ、どんな交わり、

集団の中に自分がいましても、

自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。

 

まるで一本角が立つ

サイのように一人で歩みなさい。

この心境を覚悟して、

社会の中で楽しむことが、

真に自分自身を安心の境地に

導くということなのです。

 

自分自身に何か心配や、

不安や、不満心がある時は、

自分は他人との比較をしていないか?

と振り返ってみましょう。

これをすることにより、

自分が何をするべきか?

どう思うべきか?

が見えてきます。

 

自分自身を尊重する気持ちを持ち、

自分を大切にする人から

真の安心が到来し始めます。

 

「柔訳 釈尊の教え 第一巻」

著:伊勢白山道より転載

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