自我(ワレヨシの思い)から
生じる色々な嫌な執着が、
生きる中であれやこれやと
生じてくることにより、
人は何度も何度も
コノ世に転生することになります。
でも人は、その転生する原因となる
嫌な執着が一切生じてこなくなった時、
コノ世とアノ世を往復する
輪廻を終わらせます。
それはまるで蛇が古い皮を
スルッと脱ぎ去るようにできます。
[原始仏典『スッタニパータ』
第一章第一節-十六番]
人は、嫌なワレヨシな執着、
自分勝手な執着、
他人を思いやらない執着をすることが、
コノ世で一番に
自分自身を不幸にする
原因となるようです。
自分の運気を落とさせるのも、
自分に大損させるのも、
自分を不幸にするのも、
そのすべては自分が持つ
「嫌な執着心」から生じるということです。
コノ世で自分を不幸にするだけではなくて、
アノ世でも嫌な思いをし、
さらには何度もコノ世に
「出直して来い!」と段々と
悪条件の環境に生まれさせる
一番の要因が、
*自分がコノ世で嫌な執着をすること。
だと釈尊は、
この項でさらに念押しされています。
例えば不倫などは、
コノ世でする一番のワレヨシな
執着かも知れません。
*相手の奥さん(旦那さん)や
子どもの存在など、
知ったことではない。
*自分の夫(妻)や家族に、
ウソをつくのも平気。
*家庭があっても、その彼(彼女)を
あきらめることができない。
嫌な執着をしているわけです。
これはやはり、「嫌な条件」で
転生する要因になるのは明らかです。
来生では、自分が家族のために
懸命に働く真面目で
不器用な人物として生まれ直し、
伴侶にウソをつかれながら、
罵倒されながら、給与を搾取されながら、
浮気をされる立場を経験することになるでしょう。
神様は、完全に公平な存在ですから、
不公平なままでは終わらせないのです。
完全に平等に水平になるまで、
転生・生まれ直しをさせるわけです。
閻魔大王という存在が
本当に見ていれば、
そんな不公平は鬼のように
許さないのは当然かも知れません。
「閻魔大王=自分の良心(内在神)」
であるのが霊的真相です。
誰もが、自分の心に、
完全に公平な厳しい裁判官が
いることを忘れてはいけません。
以上は不倫を例にしましたが、
それが何であれ、
ワレヨシな嫌な執着を
人は持ってはいけないということです。
逆に言えば、コノ世は嫌な
執着さえしなければ、
自分で天国にすることも可能なのです。
自分なりの最善を尽くすが、
その結果には執着しないという心境は、
自分の運気を高め、
幸運を呼び、自分の環境を
現実に変えていくのです。
そうなるのです。
昔の職人は、このような心境の人が
多かったです。
人知れず悟り、コノ世の転生を
外れた人が多かったと思います。
人は、どんな職業を通じましても、
「自分なりの最善を尽くすが、
その結果には執着しない」を
実行することで悟ることが可能なわけです。
しかも死後は、アノ世では
十倍の良い世界に逝き、
「生まれ出る条件が今よりも下がる嫌な転生」
から解放されるのです。
嫌な執着を自分が持たないこととは、
なんとお得なことでしょうか。
だから今日から、
*自分は嫌な執着をしない。
*自分にとっての嫌な執着とは何か?
このような姿勢で生きるだけでも、
自分の人生が好転します。
人が変わる時は、本当に
一瞬で変わっていきます。
誰もが生きる間は、
「嫌な執着をしない」という最強の幸運術を
選択することが可能です。
これは霊的に観ましても、
死ぬまでにこのような心境になれれば、
アノ世にも来生にも
良い影響をすることを感じます。
コノ世は、嫌な執着をするよう
誘惑に満ちていますから、
「その中でも」嫌な執着をしないことが
本当に価値も意味も持つように
創られているのです。
誰もが、この人生というゲームに、
勝つことが可能です。
その勝敗は、コノ世での成功や栄華や、
結果を残すことでもなかったのです。
誘惑の多い中でも、
何事にも「嫌な」執着を
しないことだったのです。
「柔訳 釈尊の教え 第一巻」
著:伊勢白山道より転載
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お客様の声
君津本店
●カレンダーをとっても喜んでいた
だきました。
伊勢丹新宿店メンズ館
●ベージュのバッグの全体に汚れが
ありましたが、「きれいになりまし
たね。」と、ご満足のご様子でした