思い出の時が甦るウォータークリーニング

日々是笑日

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「がんばってもそのことに過剰な執着をしない。心の平安のために」11/25(土)

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コノ世のモノの一切が

幻想であることを

深く自分で理解していること。

それでも、

人生を捨てるように

生き急がない人。

人生をムダに

怠惰に過ごさない人。

このような人は、

コノ世とアノ世を往復する

輪廻を終わらせます。

それはまるで蛇が古い皮を

スルッと脱ぎ去るようにできます。

「原始仏典『スッタニパータ』

第一章第一節-九番]

 

※幻想だとわかっていても、

一生懸命に、丁寧に、

生きることが大切。

と釈尊は示されます。

 

コノ世では、小学生の頃などは

「勉強なんか、

何のためにするのかわからない」、

社会人でも

「安月給なのに、

一生懸命に働いたって同じさ」、

家庭の主婦でも

「この繰り返しだけで、

人生が終わるのは嫌だな」

などなどと、

人間は思いがちです。

 

でも釈尊は、

*することは何だっていい。

ただ、それがダメだからと言って、

ツマラナイものだからと言って、

手を抜いたり、

簡単に捨ててしまうようではダメだ。

*「コノ世は幻想だから、

がんばらなくてもいい。

何だっていい」ではいけないのです。

*大切なことは、

幻想にも何に対してでも

一生懸命にすること。

*ただし、すべては幻想だから、

最高の努力はするが、

その結果には執着はしない。

という示唆を

されていると感じます。

 

せっかく最高の努力をするのに、

その結果には執着しないとは、

皆様はどう思われるでしょうか?

 

でも、日本の職人さんは、

昔からこれを実現していたと

感じます。

自分なりの最高の最善の仕事を、

誰に言われなくても尽くすが、

名誉を求めない無欲さを

職人気質に思います。

 

外国では、

「安かろう悪かろう」は

当然の当たり前、

値段に応じたサービスは

公平なことであり仕方がない、

という解釈がされがちです。

でも日本では、

「安かろう悪かろう」

は恥ずかしい、

安くても良いものを

目指すという気質が

昭和までは完全にありました。

 

今でも日本の観光サービス業が

外国人に高く評価されますが、

安い月給でも現場でがんばる

サービス業の社員が

多いからだと思います。

 

よくよく考えてみますと、

誰もが必ず死ぬのに、

喜怒哀楽をしながら

懸命に何とかがんばって

生きています。

この理を見ましても、

人間は誰もが保証がない中を

懸命に生きてきました。

 

しかし、人はどうしても

自分ががんばったことに

過剰な執着をするために、

輪廻(生まれ変わり。

ヤッたらヤラれる世界)の

繰り返しが止まらないままなのです。

 

どんな生活も、

今生の自分の努力と

因果の集積の上でのことです。

その生活を一生懸命にするが、

何事にも執着はしない。

この継続が輪廻を止め、

永遠の心の平安の世界へと

導くということです。

 

「柔訳 釈尊の教え 第一巻」

著:伊勢白山道より転載

 

●クリーニングのお勉強

キルティングのベストを

クリーニングに出したところ、

生地の中で綿が片寄り、

表面がごわごわになりました。

どうしてこうなるのでしょうか?

 

縫製に問題があり、

中綿のセッティングが不完全だったために

片寄ったものと考えられます。

クリーニング前には、

必ず洗濯表示や品質表示の

確認をしましょう。

また、手のひらで中綿の状態を確かめ、

光線に透かして見ることで、

ある程度は確認できます。

クリーニングの作業工程では

綿が片寄らないように糸で仮止めをし、

ネットに入れて洗浄することが

大事です。

表面のごわつきは、

素材により異なりますが、

クリーニングの乾燥段階で、

揉んで形を整えてから

完全乾燥させると

柔らかく仕上がります。

「Q&A クリーニングクレーム120」

著:澤 浩平 より抜粋

※中綿がダウンだと、偏ったり固ま

ったりしても、直しやすいのですが

、化繊の綿の場合は、品物によって

、偏ったり、細かくばらけたり、凸

凹になることがあります。洗ってみ

ないと解らないですが、防ぐ方法と

しては、小さなネットに入れて、中

身が動かないようにして手洗いすれ

ば、変化は最小限で済みます。

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