前項(第一章第一節―六番)に対して
多くの方々がブログのコメント欄で、
*怒りを鎮めるのは非常に難しい。
自分には無理かも知れない。
*ましてや心中でも怒らないなどとは、
まず不可能に近い。
という感想を漏らされているのを読みまして、
私も改めて気づくことがありました。
実は正直に申しまして、
私には「怒り」をコントロールすることは
難しいことではないのです。
仕事でも危険な点や
怒るべきことは厳しく注意しますが、
内心まで怒ることはまずないです。
だから、怒りが収まらない人との違いは
何かを自己分析しますと、
一、他人への愛情の有無、深さ。
二、慈悲心(情け心)の有無、大きさ。
三、相手の立場になって観る、考えること。
四、思いやり力。
五、人間のどうしようもないサガ・性への理解。
六、それも仕方がない、と明るく思えること。
この六つが、常に自分の
忘れない視点になっています。
人が観音様に進化しますと、
怒ることはありません。
どんな理不尽な他人でも、
その人の生い立ちや
今の環境を瞬時に考えますと、
ただ怒りに巻かれることはありません。
可愛い幼児が
手をグルグル回して
自分に怒ってきましても、
それに対して怒る大人はまずいません。
なぜでしょうか?
やはり、相手への愛情の有無が
「怒り」を分けるのです。
魂の視点では、
相手が大人でも同じなのです。
でも、病んだ大人ならば、
幼児にも真剣に
反撃するかも知れません。
これではいけないのです。
ただこれは、
無理に変な他人に愛情を持て、
ということではありません。
「怒り」とは、自分でも制御ができないほどの
パワーを持ちます。
これを逆に自分の進化に利用ができるのです。
古来から覚醒を目指す人間は、
「性欲」を制御することを
意識の拡大のための手段に
転換してきました。
これはヨガなどにも言えます。
これと同じで「怒り」も、
コントロールができた先には、
観音様への進化が起こります。
まさに第一章第一節―六番の
内容のとおりに
「人としての」輪廻は終わり、
自分自身を観音様へと進化させ、
そして新たな道が始まります。
誰もが、これから観音様へと進化が始まります。
二十一世紀は、人間が観音様へと
進化する過程でもあります。
これが果たせない限り、
人類は消えることでしょう。
今の紛争を繰り返す世界のように、
怒りに対して怒りで対抗しても
増幅するだけで決して収まりません。
そこで瞬間的に、
「相手の立場からの視点を考えること」
が重要です。
そうしますと、誤解している点や、
冷静になれる視点に自分が気づけます。
この話で私が言いたかったのは、
「怒り」とは途方もないパワーを持つから、
これを利用しないと
もったいないということです。
自分自身を変えるパワーに転換ができます。
釈尊が言われる
「怒りを持たない者は、転生が終わる」
とは真実です。
人間としての輪廻が終わり、
人から観音様への進化をするのです。
誰もが、それぞれの個性の観音様になれます。
「柔訳 釈尊の教え 第一巻」
著:伊勢白山道より転載
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クリーニングのお勉強
●フォックスの毛皮のコートですが、
ずいぶんと前のものなので
皮が硬く重くなってきています。
直す方法はありませんか?
毛皮はなめしの方法によって
寿命が変わってきます。
何百万もする高級なものであっても、
経変変化によって
なめしが硬直してしまいます。
このコートのように
硬くなった皮を直す方法はありません。
硬直すると、今度は
破れやすくなります。
毛皮製品はタンスに
しまいっぱなしにするのではなく、
時々、タンスから出して逆さまにして振るい、
細めにブラッシングで毛並みを揃えましょう。
また、保管は湿度、室温を一定に
保つことが大事です。
毛皮専門の保管庫を利用されるのも
一つの方法です。
「Q&A クリーニングクレーム120」
著:澤 浩平 より抜粋
※革は、揉むことで柔らかくなりま
す。動かさないで置いたままだと硬
くなりますし、カビが生えるリスク
も高くなります。毛皮も同じです。
革や毛皮のいい状態を保つには、時
々着て動くのが一番です。体温で温
められた状態で曲げたり伸ばしたり
されるので、革が柔らかくなって長
持ちします。
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