人生で色々な経験をする旅を
自分の中で終えたと思う人は、
心配することをやめ、
すべてのことにユックリし、
さまざまな束縛があっても
気にすることがありません。
そういう人は、
悩むことから自然とほんとうに解放されます。
「原始仏典『ダンマパダ』 第七章-九十番」
この話は、
まるで老人のことだと思われるかも知れません。
でも私は、
たとえ若くても
「いろいろな経験をする旅を自分は終えた」
と真から思える若者もいると思います。
実年齢ではなくて、
その人の心の経験値だと思うのです。
家庭の事情により、
子どもの頃にすでに
コノ世の地獄を何度も見た若者はいることでしょう。
とくに小学生の時期などに、
自分では逃げることもできず、
避ける知恵もなく、
誰にも言えずに衣食住・性・暴力の試練に遭う子どもはいます。
そのような子どもは、
自分の人生に希望を持てずに、
悪い意味で「人生でいろいろな経験をする旅」
が幼くして終わったと感じているかも知れません。
ただ、このようなことも人間のサガ(性)として、
もし明るく受けとめることができますと、
若くして非常に落ち着いた
腹の座った人間になれる人もいます。
だから、年齢は関係なくて、
*もう心配することをやめることです。
自分ができる努力をした上で、
「なるようになる」という心境を意識します。
*もうあわてることをやめることです。
人生の結果とは、
あわてても悪くなることはありましても、
良くなることはないということを思い知ることです。
*いろいろな束縛や悩みがありましても、
自分の気を病まないことが重要です。
これが、人の運命を変えます。
どんな人にも束縛も悩みもあるのです。
コノ世に生きるかぎり、
人として存在するかぎり、
誰にでも悩みも束縛もあるのです。
いつまで経ってもです。
もし何の束縛も悩みもないように
見える人がいましても、
他人からそう見えるだけなのです。
これがなくなると思い込んでいる人が、
悩みや束縛を「なくそうとして」苦しみます。
でもそれは違うのです。
悩みや束縛が存在していましても、
自分の心にまで「受け取らない」ことが大切なのです。
実は、この心の癖が、
その人の幸福と不幸を決めているのです。
以上を意識することにより、
釈尊が「そういう人は、悩むことから自然と解放されます」
とおっしゃっています。
ここで、勘違いをしてはいけないことは、
解放の意味です。
「悩みは依然として"そこに"存在しているが、
自分の心はほんとうに悩みから解放されているために、
悩みが気にならない→
悩みを素直に受け入れることができる→
すると、悩みが存在していないことになる→
悩みから解放される」
という流れとオチを知っておいてください。
人間は、嫌なことを「なくそうとする」から苦しみます。
それがなくならないから
自分はダメだと思い込みます。
それがあるから、
すべてがダメだと感じてしまいます。
しかし、それは違うのです。
嫌なことの「存在」も認めてあげた上で、
自分の良心を優先して
感謝する生活を実践します。
この継続は、いつの間にか悩みの存在を
ほんとうに根本から少なくしていきます。
この継続が現実に悩みを解決することもあるのです。
そして人生を楽しむことができます。
「柔訳 釈尊の言葉」
著:谷川 太一より抜粋転載
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クリーニングのお勉強
●白いシャツブラウスですが、
クリーニングから戻ってきたシャツを見ると、
襟回りとカフス部分に
薄汚れたシミがまだ残っています。
これは落ちないものでしょうか?
化粧品が残留した襟回りや、袖、カフス部分は、
ドライクリーニングだけでは不十分です。
襟回り、袖、カフス部分の汚れを
除去するためには部分洗いをして、
さらにシミ抜きをきちんとしましょう。
「Q&A クリーニングクレーム120」
著:澤 浩平 より抜粋
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