昔のよく道徳を修めた人間は、
民衆を聡明に賢くしようとはせずに、
むしろ愚直なままに放置しました。
民衆が治めにくくなるのは、
民衆に余計な知恵が付くことで起こります。
だから知恵(頭だけで)によって
国を治めようとすることは、
国家の害となります。
知恵(頭だけで)によって
国を治めようとしないことは、
国家を安定させます。
この二つのことを知ることは、
国家を治める法則となります。
常に物事の法則を知っていることを、
「神妙なる徳」と言います。
神妙なる徳とは非常に深遠であり、
コノ世の万物が帰順します。
こうして色んな法則に従えば、
コノ世のすべてが順調に回ります。
コノ世は森羅万象すべてにおきまして、
パターンに満ちています。
宇宙の天体にしましても、
パターン(法則)による運行なのです。
では、コノ世は機械のように
完全にパターンだけの世界なのか?となりますと、
これも違うと私は感じています。
パターンを改善することが可能である
パターン(法則)の存在を常に感じるのです。
それは何かと言いますと、
「感謝する気持ち」
「思いやりを持つこと」
「自分の良心にナントナク従うこと」
などの感謝の磁気を発揮することだと感じます。
老子はこのようなことを、
道徳に従って生きること、
自然な流れに生きること、
そして無為自然と呼んでいます。
とくに大切なことは、
パターン(法則)を思考(頭)だけで
決めつけてはダメだということです。
頭で考えた法則やパターンは、
間違っていることが大半なのです。
余計な知恵や思考が増えれば、
余計に迷うことにもなります。
色んなパターンや法則を、
頭ではなくて、自分の経験から知ること。
聞いてわかる・読んでわかることは一切なく、
経験が真に教えます。
自分の心身(心と肉体)の反応から知ることが大切です。
以上のような法則・パターンの知識を持ちながら
自分の生活をしていますと、
必ず何かが前進していきます。
以前の自分とは違っていくのです。
「柔訳 老子の言葉 写真集」
著:谷川 太一より抜粋転載