本当に完成したモノは
いつまで経っても未完成に見えますが、
その働きは十分に発揮します。
絵でも文章でも人間でも、
本当は十分に完成していましても、
いつまで経っても何かが不足しているように思うものです。
本当に大きな器の人間ほど
中身が空っぽに見えますが、
その働きの可能性は無限にあります。
本当に真っ直ぐなことは、
曲がっているように見えます。
大いなる技巧は、
下手くそに見えます。
本当に雄弁な者は、
口下手に見えます。
「自分なんてダメだ」
「何をしても中途半端で嫌になる」
などと私たちは誰でも思うものです。
しかし真実は、
そう思えた時点で
その人間は完成して"いる"のです。
これは宇宙も同じです。
これで終わりということがなく、
永遠に誕生と消滅を繰り返しながら
「流れて」いきます。
私たちも悩みながら、
苦しみながら、楽しみながら、
何かに不足を感じているものです。
ボロボロになっても生き「よう」とします。
この「途中の状態:ing」こそが、
すでに完成しており悟っているのです。
どんな時でも、
「いや、今からだ」
「どうやって乗り越えようかと考えることも嬉しい」
と前向きに生きるこの「途中の状態」こそが、
生命の歓喜=涅槃(天国)だと私は常に感じます。
これからの世界情勢や天変地異への心配も、
自分や家族への心配も、
すべては喜怒哀楽、有象無象が
流れていくingの途中に過ぎないと思いましょう。
人間が心配したり、苦しんだり、
楽しんだり、「している」ことが
すでに完成形だったのです。
「柔訳 老子の言葉 写真集」
著:谷川 太一より抜粋転載
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